廃線跡に戻ってくる。伸びていく遊歩道をたどっていくと…

 この下河原線広場公園のすぐ南側には国道20号、甲州街道が通る。言わずもがなの大動脈、クルマがひっきりなしに行き交い、そのままボクは下河原線の電車なのだ、などとうそぶいて道路を横断するとまず間違いなく撥ねられる。

 なので周囲を見渡すと、少し西側、ハローワークの前に横断歩道。ここを渡って再び廃線跡に戻ってくる。

 すると、甲州街道の南側からも、廃線跡をそのまま転用した遊歩道が続いている。すぐ脇にはベンチが置かれていて、ひと休みしている地元のご老人。自転車と歩行者で色分けされた廃線跡の遊歩道を歩いてゆくと、すぐに京王線の高架の下だ。

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 ちなみに、この場所に現在の京王線が通ったのは1925年のこと。すでに下河原線は開業していた。現在の府中周辺でいちばん古い鉄道が、実は下河原線なのだ。

 京王線を潜ってからもさらに遊歩道、廃線跡は南に続く。両サイドには植栽があって、また周囲の街並みはすっかり住宅地。人口25万人を超えるベッドタウン・府中市の、それも府中駅から歩いて5分ほどのところを通っている。

 下河原線が建設された当時はともかく、いまではすっかり住宅地の中の遊歩道。廃線跡だというのは誰かに説明されなければとうていわかるまい。

 その先では番場北裏通り、また旧甲州街道とも交差する。甲州街道とは違ってここにはちょうど遊歩道の場所に横断歩道が設けられているから、遠回りをする必要もなくて楽ちんだ。

 このあたりは古くからの府中の町の中心地。歴史のありそうな建物が建っているのも見えたりして、歴史散歩のような気分になってくる。が、目指すはもちろん東京競馬場である。

南武線を跨ぎ、鎌倉街道を渡ってさらに進むと…

 旧甲州街道を渡ったら、次に交差するのはJR南武線。京王線は下を潜ったが、南武線は上を跨ぐ。これは下河原線の現役時代からの構造だったようだ。

 府中の中心市街地の南側は府中崖線という多摩川の段丘崖が東西に走っていて、その狭間を南武線は走っている。そうした事情もあって、あとから建設された南武線が下河原線の下を潜ることになったのだろうか。

 

 そしてさらに南へまっすぐと。近くには小学校があり、府中本町駅前にも通じている鎌倉街道を渡って少し進んだら、いよいよ見えてきます。