消えた“ほんとうの最寄り駅”
現在の府中競馬正門前・府中本町という2駅体制ができあがったのはおおよそ半世紀ほど前の1973年のことだ。その年のダービーはアイドルホース・ハイセイコーが圧倒的人気を集めて単勝1.2倍。ところが結果は伏兵のタケホープが1着、ハイセイコーは3着に敗れるという、いわば波乱のダービーだった。
では、それ以前はどうだったのか。府中競馬正門前・府中本町の2駅はあったが、それに加えてもうひとつ。東京競馬場前駅という、そのまんまのお名前の最寄り駅が置かれていたのである。
「東京競馬場前駅」はどこにあった?
東京競馬場前駅は、下河原線などと呼ばれていた国鉄の路線の駅だった。中央線の国分寺駅西側で分岐して西にカーブ、そのあとは府中街道に沿うように南に向かう。
南武線と交差した先で東に枝分かれし、まっすぐ進んで現在の府中本町駅のすぐ南あたりに終点・東京競馬場前駅があったようだ。
もともとは1910年に東京砂利鉄道として開業したのがはじまりで、その名の通り多摩川の砂利を運ぶための鉄道だった。だから、目的地は競馬場ではなく多摩川の河川敷。
ところが1933年、そんな武骨な貨物線のすぐ近くに東京競馬場ができると、これを活かさぬ手はないとなって競馬場近くまでの引き込み線を新設、1934年から競馬客の輸送をはじめるようになったという。
ちなみに、ダービーが東京競馬場で開催されるようになったのもこの1934年から。第3回日本ダービーは、秋田県産馬のフレーモアが勝っている。以後、一貫してダービーの舞台は東京競馬場だから、東京競馬場前駅もダービーの歴史と共にあり続けた最寄り駅、ということになる。

