なぜ東京競馬場前駅は消えたのか?
一応、廃線跡探訪ということで競馬場に向かわずまっすぐ行ったパターンにも触れておこう。
といっても、特に何か特別なことがあるわけでもない。しばらくすると中央フリーウェイの下を潜り、その先には左手にサントリーのビール工場(の裏側)。このあたりからは田畑も多くなってきて、ややのどかな風景に変わる。そして府中郷土の森博物館のすぐ脇で大きくカーブして、そのまま河川敷へと消えてゆく。
下河原線は、1934年から競馬客の輸送をはじめたが、しばらくは競馬開催日限定の運行だった。戦時中には競馬開催そのものが中断しているので競馬客輸送も中断したが、変わって東芝の工場への通勤客輸送を始めている。軍事優先の時代、というわけだ。これが現在の北府中駅の原点といっていい。
戦後、競馬が再開されると下河原線の競馬客輸送も再開。1949年からは競馬開催日に限らず毎日運転するようになった。
といっても、東京競馬場前駅の近くには南武線の府中本町駅もあるし、京王線の府中駅までも10分ほど。そんな場所に、あまり便利とはいえない駅ができたところで、日常的なお客はほとんどいなかったようだ。
このあたり、現在の府中競馬正門前駅とよく似ている。とどのつまり、競馬専用路線、みたいなものである。
そういうわけで、1973年に武蔵野線が開通すると、東京競馬場前駅は事実上同一駅だった府中本町駅と統合される形となって、廃止されてしまった。
下河原線はその後もしばらく現役だったようだが、そちらも1976年には廃止になった。そして廃線跡が国鉄から府中市に譲渡され、そっくり遊歩道として整備された、というわけだ。
東京競馬場前駅がなくなって、もう半世紀以上。遊歩道はすっかり地元の人の日常に馴染んでいる。でも、その昔はここを走っていた列車に乗って、ダービー観戦に向かう人もたくさんいたのだ。
そのときの彼らの心情と、いまの府中競馬正門前駅に向かうときの心情と。それはどちらも、ほとんど同じに違いない。さてはて、今年のダービー、どの馬が勝つんでしょう……。
写真=鼠入昌史
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