『ありか』(瀬尾まいこ 著)水鈴社

〈子どもが生まれて親の気持ちがわかる。そう言うけれど、私は子どもが生まれて、親の気持ちがさっぱりわからなくなった〉というくだりに目を瞠った。『ありか』は親子の関係について、思いがけない発見がある長編小説だ。著者の瀬尾まいこは、本屋大賞を受賞した『そして、バトンは渡された』、映画も大ヒットした『夜明けのすべて』など、既成概念にとらわれない人間のつながりに光をあてた作品で知られる。

 主人公の美空は、26歳のシングルマザー。化粧品を扱う工場でパートとして働きながら、一人娘のひかりを育てている。ひかりが保育園の年長になった春から、小学校に入学する直前まで、さまざまな出来事が起こる1年間を描く。

 美空は女手一つで育てられ、母に感謝しなければという意識が強い人だ。母もことあるごとに親の恩を忘れないように主張してくる。美空は母に不満や愚痴を捨てるゴミ箱のように扱われても抗えない。挙げ句の果てには金を無心されて、追い詰められてしまう。どんな親でも恩には報いるべきで、与えられたものは自分を犠牲にしても返さなければならない――そんな呪いから、1人の女性を解放する物語になっているところが本書は素晴らしい。

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 鍵になるのは、母以外の人との結びつきだ。まずはなんといっても娘のひかり。頑固で手に負えないときもあるけれど、無邪気で明るい。おつけものを〈おけつもの〉とかキュートな言い間違いをするし、美空の料理はただの食パンでさえ褒める。一つひとつの言葉がキラキラの折り紙みたいだ。ひかりを産んで、美空は恩返しなど求める気にならないほど無条件に愛おしい存在があることを知る。

 別れた夫の弟である颯斗も重要人物だ。美空は結婚して2年少しで離婚した。原因は夫の浮気だ。ひかりをかわいがっていた颯斗は〈せっかくつながった人と関係が閉ざされるってなくない?〉と言って、毎週水曜日のお迎えと食事のサポートを申し出る。美空はためらうが、颯斗の提案を受け入れて、〈時に強引さはとんでもない救いになりえる〉と気づく。

 颯斗の母(つまり元姑)、ひょんなことから親しくなる保育園のママ友、パート仲間も、強引さで美空を救う。みんな自分のしたいことをしたいようにしていると伝わる形で手を差し伸べるので、美空も負担にならない。こんなふうに他人と適切な距離をとって、優しくできたらと思う。

 自尊心が低くて遠慮ばかりしていた美空が、大切な人を失わないために、初めて強引な行動に出る場面は胸を打つ。親だから子どもを愛せるとはかぎらない。血は水より濃いともかぎらない。縁を切ることが不幸ともかぎらない。人と人のつながりにはいろんな可能性があって、勇気をもって一歩ふみだしてみれば、新しい世界が広がる。心のありかも見つかるのだ。

せおまいこ/1974年大阪府生まれ。2001年「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞しデビュー。05年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、19年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞受賞。他の作品に映画化もされた『夜明けのすべて』等。
 

いしいちこ/1973年生まれ。ライター、書評家。著書に『文豪たちの友情』『名著のツボ』、インタビュー集『積ん読の本』。