チャンネル登録者数は約60万人。苦戦を強いられることも多い芸人YouTubeの中でも安定した人気を誇っている「ゴー☆ジャス動画」。ゴー☆ジャスはなぜネット民にも受け入れられたのか。「絶滅の危機にある」という白塗り芸人としての誇り、キャラ芸人を牽引し続けてきたダンディ坂野から言われたたった一つのアドバイス。謙虚さとしたたかさのファンタジスタ、ゴー☆ジャスの生き方こそ令和の最適解だった。(全3回の3回目/#1から読む

ゴー☆ジャス ©山元茂樹/文藝春秋

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お笑いブームの後、テレビの仕事が急になくなった

――ゴー☆ジャスさんがYouTubeを始められたきっかけはなんだったんでしょうか。

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ゴー☆ジャス テレビの仕事が入り出したのは、お笑いブームの本当に最後の最後。誰でも彼でも「もう終わるから出ろ!」みたいな感じで駆り出されてました。で、急に仕事がなくなって。2011年、震災当時の雰囲気の中、仕事もないから、本当にゲームだけやってました。森の中に行くゲームをやってると本当に外に出た気分になっちゃうんですよ。「ああ、今日は遠出したな」って勘違いしてた。ヤバかった。でも、それがのちのちカプコンの仕事につながっていきました。

 あと、なぜかネット民がゴー☆ジャスを優しく受け入れてくれたんですよね。普通ネットの人たちは、芸能人が来ると「来るんじゃねえよ」になるんですけれども、「ゴー☆ジャスだったらいいよ」って。それこそ「お前は売れてないから行くところがないんだな」って。

――芸人さんの中でもゴー☆ジャスさんはだいぶ早かったですよね、YouTubeを始めたのは。

ゴー☆ジャス 早かったですね。だから、YouTubeの金脈を僕はずっと黙ってました。誰にも言わなかった。そうしたらコロナになった時に、人気者たちが一斉に自宅で配信を始めて。みんなゴールドラッシュですよ。芸能人がいっぱい食い荒らしに来たんです。

 

――とはいえ、芸人さんがYouTubeで成功するのは難しいじゃないですか。芸人さん自体にも、「ちょっとユーチューバーは」みたいな、差別意識じゃないですけど、そういう話はよく聞きました。

ゴー☆ジャス ありましたね。でも僕は居場所がなかったから、とりあえず居場所が欲しかった。ゲームもできるし、それこそ仕事だと思ってなかったですね。

今は賞レースに勝たないとテレビに出られない

――2001年にM-1が始まって、お笑いが賞レース中心に変わっていきました。賞レースで勝った人がすごいとされる時代に。ゴー☆ジャスさんはその変化をどのようにご覧になっていたのでしょうか。

ゴー☆ジャス 賞レース勝たないとテレビに出れませんってなってますね。ただそうなると、キャラクター芸人は減っていくんですよ。やっぱり学校がメインじゃないですか。お笑いやりたかったらまず学校に行かなきゃって。賞レースで勝つためのことは学校で教えられるけど、キャラ芸人がどういうキャラを作るかなんていうのは教えてもらうものじゃないし、学校のカリキュラムにもないんですよね。だから、キャラ芸人はどんどんいなくなってきちゃって。