棚橋 僕、猪木さんから直接コブラツイストを教わってるんです。
HIRO それヤバいですね、いいなあ。実は去年、うちに所属しているTHE RAMPAGEの武知海青がプロレスラーデビューしたんですよ。それで最近また海青とプロレスの話をよくするようになって。
棚橋 武知さん見ましたよ、いいですよね。
HIRO 僕が大事にしていた「アントニオ猪木デビュー50周年記念DVD-BOX」も、海青に譲りました。「俺の時代のストロングスタイルを見ろ!」って(笑)。
今のプロレスもすごく進化してると聞いたので、これから勉強したいと思ってたんです。
棚橋 それは嬉しいですね。今日はよろしくお願いします。
HIRO こちらこそ、よろしくお願いします!
――HIROさんは2013年にパフォーマーを引退されて経営に専念、一方で棚橋さんは来年の1月4日に引退を控えた現役のプレイングマネージャーです。プレイヤーが経営側に移る時の大変さはどんなことがあるんですか?
棚橋 新日本プロレスには選手会があって、僕はこれまでその一員として会社に要望を言う立場でした。「試合数が多すぎる」とか「移動が大変だからなんとかしてほしい」とか。
ところが経営側になってみたら、会社としては年間150試合くらい組まないと売り上げが立たない、そうすると選手の年俸も確保できない、という現実的な問題が見えるようになってしまったんです。選手側の負担もわかるけど、収益を確保しようとする会社側の気持ちもわかる。ものすごい板挟みです(苦笑)。
選手と話せば「このスケジュールはきついよね」と思うし、一方で運営側から「社長、今年はこれくらい大会をやりたいんです」と相談されれば「やろう!」と言わなきゃいけない。選手の負担を減らしながら、大会数を維持する新しい戦略を今まさに考えているところです。
HIRO 僕はパフォーマーを引退して10年以上経ちますが、現役時代の経験や感覚は今の経営にとても役立っています。最近では経営側の視点が増えましたが、パフォーマー現役時代からずっとそうやって活動してきたので、自分のなかではそこまで変わったという感覚はなく、自分の成長とともに経営者と表現者のバランスが変わってきたのかなと。その経験があるので、所属タレント、アーティストにはリアルな話ができますし、LDHは僕がずっとそのスタイルで大きくなってきた組織でもあるので、所属とスタッフの距離は普通の芸能プロダクションよりかなり近いと思います。
今は人数も多いので昔に比べて一人一人とコミュニケーションをとる時間は減っていますが、それでも定期的に話はしますね。
棚橋「プロレスラーって、とにかく自分が一番なんですよ。でも…」
――棚橋さんは選手側と運営側の間で板挟みになるというお話でしたが、HIROさんは同じような悩みはありませんか?
HIRO 板挟みだと感じることは、あまりないです。僕はとにかく全部ぶっちゃけて話すようにしていて、「会社としての考え方、方針はこうだけど、先輩としてはこう思う。〇〇にとって本当の意味で得があると思うなら、自分は薦めるけど最後は自分で決めて後悔しない方がいい」という感じで、僕の考えを素直に伝えます。
所属のみんなを「説得」するというより「納得」してもらいたいんですよね。会社を作った当初から「みんなで上がっていこう」というマインドを共有してきたつもりです。
――棚橋さんは現役選手と社長を両立されていますが、リング上での意識に変化はありましたか?
棚橋 プロレスラーって、とにかく自分が一番なんですよ。タイトルマッチが終わって次の挑戦者が決まってなければ「次は俺だ! 俺が行く!」という前のめりな気持ちが常にあったし、その気持ちは刺激的な競争に必要な要素です。でも社長になった今は「ここは棚橋じゃないな」とか、「このタイミングならあの選手がいくと盛り上がる」とか、選手だけの目線でいられなくなりましたね。

