囲碁界には奨励会のような制度はなく、日本棋院と関西棋院が棋力を認定し、初段からプロとしてデビューできる。また女性枠の棋戦はあるが、将棋界のような女流棋士制度はなく、段位は男女とも共通の基準に基づく。畠山が奨励会時代の頃、ベテラン棋士が囲碁界と将棋界の違いについて次のように話していたという。

「囲碁界は普及のためには競技を知っている者が必要という観点で、初段からプロになることを認めている。それに対して将棋界は、名人になれる可能性のある者しかプロにしない。四段昇段とは、頂点を目指すことを意味している。それが奨励会のある意味だと、聞かされたことがあります」

奨励会時代の福間香奈が見せた「ただならぬ決意」

 2011年、里見香奈(現・福間香奈女流五冠)が19歳で奨励会1級に編入した。間もなくして、畠山は里見からVSを申し込まれる。

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「里見さんが、親しい棋士から『畠山にボロクソ言われて鍛えられてこい』と発破をかけられたそうです。最初はうちの一門研究会に、当時の弟子の伝手で来たのが始まりでした。月に一回VSをすることになって、夕方くらいまでのつもりが、いつもまだ指したそうな感じだったので、結局午後8時、9時頃までやっていましたね」

 当時、畠山は順位戦B級1組に在籍しており、関西のトップ棋士たちと研究会を行っていた。師弟関係を除けば、B級1組の棋士が1級の奨励会員とVSをすることは通常はない。

「断るつもりが『お願いできますか?』に、なぜか『はい』と答えていました。里見さんのただならぬ決意に押されたのは間違いありません。彼女が共同研究や楽しげな場所を避け、一人で部屋の隅で詰将棋を延々と解いたり、記録係を深夜までやっている姿を見ていたのもあります。奨励会において修羅の道を行きながら、一方で女流棋士としてファンの前では華のある所作を見せる。その熱量に私自身が負けていると感じて、依頼を受けたのだと思います」

 里見に “女性棋士”としての可能性を感じたのだろうか?

「最初は奨励会を抜けるどころか、三段もキツイかなと思いました。年齢制限のプレッシャーだけでなく、19歳の1級なんて14、15歳の子にとっては怖くないんですよ。そんな奴、叩きのめしてやるって闘志で向かってくる。それを跳ね返すことは簡単じゃない。

 入会前に新人王戦で当時の若手トップの一人、稲葉陽四段(当時)に勝って、メディアでは実力は四段クラスみたいな騒がれ方もしていた。でも、それは里見さんが挑戦者で伸び伸び指せていて、稲葉君は負けたら自分の将来の可能性が閉じるんじゃないかと力んでいる状況だったから。棋士の間ではやはり1級程度という見方でした。まさかここまで強くなるとは思いませんでした」