激戦を制した西山は、女性として最年少で初段昇段を果たした。柵木は投了すると、自分の眼鏡を掴み取り、畳に投げつけた。

「先を越されたのが悔しくて……。16歳でしたから、感情が抑えきれなかった。感想戦の前に西山さんは昇段会見があって席を外し、戻るまで盤の前でずっと待っていたのをすごく覚えています」

三段リーグ時代の記憶に残る一戦

 西山は初段昇段後、高校卒業と同時に慶應義塾大学へ進学した。上京にともなって、所属する奨励会も関西から関東へと移籍する。柵木は地元の名古屋大学へと進学した。二人が再び盤を挟むのは三段リーグに入ってからになるが、奇しくもリーグ入りは同じ期であった。

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 互いに8期目を迎えた第66 期三段リーグ。西山は11戦目を終えてトップタイの9勝2敗で、続く12戦目の相手が柵木だった。

「今でもそのときの棋譜を見返すことがあるんです。西山さんとの他のリーグ戦は泥仕合でしたが、この一戦はほとんど悪手を指すことがなく、三段リーグ時代を通じても会心の将棋でした。私にはすでに昇段の目がなくても、相手にとっては重要な対局であり、気合が入ったのを覚えています。とても良い集中状態で指すことができ、その後の私の成績にも影響を与えた一局でした。不調のときは、あの感覚を思い出そうとしますね」

 柵木に敗れた後に4敗目も喫した西山だが、最終戦に昇段をかけて、当時16歳の伊藤匠(現叡王)と対戦した。柵木は隣の席での対局だった。

「伊藤さんは当時から強く、さすがに厳しいのではないかと予想していました。西山さんが寄せ切ったときには、そうか、勝つんだなぁと。これは昇段したんじゃないかと思いましたけれども……」 

立会人 畠山鎮八段

 第5局の立会人を務めた畠山鎮八段は、関西奨励会幹事を9年間務めた。厳しい指導は礼儀や生活態度に至るまで及び、関西から多くの棋士を輩出する礎を築いた。

「誤解される人も多いですが、やはり三段リーグを出た者は、抜けられなかった者に負けちゃいけないという意識がありますから。朝の表情を見た感じでは、柵木君はそういう悲壮感を持って戦っていたと思いますね」

畠山鎮八段

 奨励会には幼くして将棋の才を見せた子たちが、厳しい選抜を抜けて集まる。それでもプロになれるのは2割弱しかいなく、デビューできるまでに10年以上かかることは珍しくない。将棋界は何故にプロへの道がこれほどまでに厳しいのか?