畠山は、里見が奨励会に入った頃に関西将棋会館の2階にある道場の片隅で、一人詰将棋をする姿をよく見ていた。
「毎日、いつ行っても詰将棋を解いていました。里見さんは相手に気を遣わせてまで研究会に誘われるのを気にしたのか、入会してから途端にいろいろな人と話すことが少なくなった。道場にいるのを見かけたベテラン棋士や記者たちが『頑張っているね』と声をかけているのを、私は正直、何を言っているんだと思いました。奨励会に入ったら、頑張るのは当たり前じゃないか。おそらく里見さんは、周りから特別に気遣われるのが嫌だったから、一人ポツンと誰とも関わらないようにしていたんだと思う」
強い女流棋士を想定していなかった現行制度の限界
畠山と里見がVSを始めた頃は、まだ棋士と女流棋士がVSや研究会を行うことは関西では少なかった。
「なぜ里見さんとだけ指すのか、贔屓しているのかと、ずいぶん陰で言われました。他の女流と指さないのは、単純に実力が劣るからです。私が非難されるだけならいいのですけど、里見さんが強くなってから、なぜ他の女流棋士たちと研究会をしてあげないのかという記者や関係者がいました。奨励会三段が、研修会C1から上がった子と指している時間はないですよ。奨励会を経験した女流が必要以上に苦しむのは、彼女たちと普通に女流棋士になった人たちを同列に扱っているからです」
畠山は女流棋界から本気で棋士を目指そうとする女性が出てきたときに、制度が追いついていないことを指摘する。
「奨励会は強い棋士を育てる機関として優秀な制度ですが、誰もがそこまで苦しまなければプロになれないとしたら、それは将棋界への扉を狭くしてしまうでしょう。女流棋士が多くのファン、特に女性や子どもたちに将棋に親しみやすい環境を築き上げてきた功績は大きい。ただ、普及という当初の目的は達せられましたが、西山さんや里見さんのような強い女性が出るということが想定されていなかった。三段リーグまでいき、公式戦で棋士に互角以上の成績を残す。二人は、それまでの将棋界の女性に対する常識を全部超えちゃったんですよ」
棋士になるために必要な“覚悟”
女流棋士制度ができて、昨年で50年が経った。近い将来、新しい世代からも棋士になれる存在は出現するだろうか?
「研修会の13歳でアマ四、五段クラスの女子が女流棋士になっていたら、出てこないでしょう。研修会のB2で男の子は奨励会6級を受けるのに、女の子は女流棋士になれる。それで男女平等だと言っているなら、綺麗な言葉で才能ある女の子をダメにしているようなものです。
奨励会員は対局での収入はなく、どれだけ良い将棋を指しても振り向いてもらえない。26歳までに四段にならなければ、棋士の道は閉ざされるという厳しさと、彼女たちが向き合わなければ。
里見さんは倒れる寸前までいって、退会したときには地元の親しい後援者が『香奈ちゃん、将棋を辞めないですよね』と心配していました。西山さんも血を吐くような思いで頑張っていたと思います。その頃に東京の棋士たちが大丈夫かと話していたのを聞きました。二人とも、それくらいの覚悟がうかがえたのでしょう」