「社会主義は世界の趨勢」
チェ・スンチョルは「日本は遠からず社会主義国家になる。そのとき偉い人となって日本に戻り、大きな仕事をしたらどうだ。そのために北朝鮮で大いに学んだらいい」と言った。わけがわからないという顔をする私に、チェは「そのうちわかる。社会主義は世界の趨勢だ。必ず勝利する。それが歴史発展の法則で、その時に日本には優秀な人材が必要なのだ」と、まるで私の心の中に「野心」があり、それに火をつけるかのように話した。
「あの晩、祐木子に手を出したのではないか」と、私はずっと気になっていた質問をぶつけた。チェ・スンチョルはとんでもないというように首を振って「共産主義者はそのような卑劣なことは絶対にしない。もしそんなことがあったら全員、処刑される。彼女は無事に日本に帰した」と答えた。私の他の質問にもチェは一つひとつ答えようとしていた。釈然とはしなかったが、私は少しずつ気持ちが落ち着いていくのを感じた。
その後もチェ・スンチョルは、私が急性肝炎にかかって入院した915病院や、地村さんと一緒に暮らし始めた招待所にやってきては、「朝鮮統一は韓国ではなく、北朝鮮によって実現する。そうなれば日本にも波及する」と言い、「男として生まれたからには一度大きなことをしてみたらどうか」などと煽りたてるのだった。彼の言う「大きなこと」とは、表向きは「日本革命」だったが、頭の中では「秘密工作員」としての我々の利用方法を思い描いていたのかもしれない。
確かにチェ・スンチョルの話には、肯定できるところもあった。そもそも社会主義や革命といったものに無縁だった私だが、チェの言うとおり社会主義が本当に「搾取や圧迫のない平等な社会を目指す」ものなら、悪いことではなかった。その社会主義を実現した北朝鮮の発展ぶりについての話も、日々テレビの画面に映し出される、活気に満ちた北朝鮮の民衆の姿と重ね合わせると、真実のように思える部分もあった。たとえば、その頃大勢の群衆が山を切り開き、広大な段々畑を造成する様子が放映されていたが、山の斜面を切り崩すことの悪影響に思い至らなかった当時の私には、食糧の自給自足を実現するための積極的な行動に思え、北朝鮮の「勢い」を感じたものだ。
チェ・スンチョルは一方で、アメリカと対峙している北朝鮮の社会が、日本と違って厳しく統制されており、自由に交通手段を利用して移動することができないと強調した。「平壌中心部から順安招待所まで来るあいだに、いくつも検問所があり、高位幹部の乗るベンツですらチェックされるのを見たではないか」と話した。いうまでもなく、脱走しようなどという考えはもつなというメッセージだった。
