一方の王は、どことなく活気がない。にもかかわらず、片足を上げるユニークな打法で、大量のホームランを打つ。ほとんど故障のない精巧な機械のように、自身を改造してみせた。しかし、ある種のわくわく感に乏しい。シャイで、ストイックで、一部のファンに言わせれば、やや機械的すぎる。
おまけに長嶋は、試合をドラマチックにする天賦の才がある。1959年に、裕仁天皇が公式のプロ野球を初めて観に来た、いわゆる天覧試合で、彼は「サヨナラホームラン」をかっ飛ばした。この快挙は、その後半世紀間、吐き気がするほど何度も、ハイライトシーンで再生されたものだ。
王は王で、1964年には一試合にホームラン4本、1972年には7試合連続ホーマーという記録を打ち立てたが、この成績を覚えているファンは、はるかに少ない。王が単独でスポットライトを浴びるようになり、アメリカでも注目されるようになったのは、1974年に長嶋が引退し、王がハンク・アーロンの記録に近づいてからだ。
長嶋が“チャンスに強い男”と言われた本当の理由
皮肉なことに、3番打者の王のおかげで、クリーンナップの長嶋がよく打てたと言える。王は生真面目だから、ストライクゾーンを外れた投球には、決してバットを振らなかった。一試合に平均1回はフォアボールを選んでいる。
接近戦の9回ともなると、ランナーがいる場面でも、王はしばしばフォアボールで出塁した。投手陣が彼と勝負するのを怖がったからだ。
ここで長嶋が、勝ち越しの安打をねらって、バッターボックスにすっくと立つ。ピッチャーは勝負するしかない。案の定、長嶋はスコーンとヒットを放つ。
かくして長嶋は、“チャンスに強い男”という、不動の評価をものにした。じつは必ずしもそうではなく、王のおかげで、たくさんのチャンスが転がり込んだだけなのだ。
(初公開日:2024年5月24日)
1942年、米国ニュージャージー州生まれ。カリフォルニア州立大学から上智大学に編入し、政治学を専攻。出版社勤務を経て、執筆活動を開始、日米比較文化論の視点から取材を重ねた論考が注目を集める。77年『菊とバット』(サイマル出版会、文春文庫)、90年『和をもって日本となす』(角川書店、角川文庫)はベストセラーとなった。『東京アンダーワールド』は取材・執筆に10年の歳月を費やし、単行本と文庫で20万部を超えている。他の著書に『サクラと星条旗』『イチロー革命』(以上、早川書房)、『ふたつのオリンピック 東京1964/2020』(KADOKAWA)など。
