しかし王にとっては、まだほんの序の口だった。

3年連続首位打者、2年連続三冠王という大偉業

1964年には、シーズン55本塁打という日本記録を打ち立て、打率は3割2分。13年連続最多本塁打という、前例のない記録の、これが3年目だった。さらに1968年から、3割2分6厘、3割4分5厘、3割2分5厘と、3年連続で首位打者に。1973年と74年には、立て続けに三冠王。73年には、3割5分5厘、51本塁打、114打点を記録。これがおそらく彼のベストシーズンだろう。

阪神タイガースの村山実監督は、ぼそりとこうつぶやいた。

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「彼に打順が回るたびに、頭痛がしたよ。見ちゃいられなかった」

引退するまでの記録は、ホームラン街道を独走しながら、打点13回、首位打者5回、MVP9回。1977年9月3日には、現役選手として頂点に達した。756号ホームランを放って、ハンク・アーロンのメジャーリーグ生涯記録を抜いたのだ。

とはいえ、ON時代を通じて、王は“もっとも注目された選手”ではなかった。その名誉はいつも、チームメイトのクリーンナップ、長嶋のものだった。好きな選手は、という統計でも、ダントツの長嶋にはるか及ばず、王はいつも2位に終わっている。野球のあらゆる成績では、王の方が上回っているにもかかわらずだ。

これには数々の理由があった。

まず、長嶋の方が年長であること。日本社会では、これが重要な要素になる。長嶋は立教大学出身で、1958年に新人王をとり、翌年から3シーズン続けて首位打者に輝いた。その間、王はというと、高卒で、まだ打撃フォームが定まらずに、悪戦苦闘していた。

天覧試合でサヨナラホームランをかっ飛ばす劇場型

長嶋はカリスマ的で、元気いっぱいで、観客にウケる。三振しても、見栄えがいい。ストライクゾーンを外れた球に、大きくバットを泳がして、空振りするシーンが有名だが、バットの振りがとても速いので、ヘルメットをよく飛ばした。フィールドでも観客を喜ばせる。並みのゴロを捕球しても、どういうわけかナイスプレーに見せてしまう、そんな三塁手だった。