王は荒川道場での朝練習に、一層力を入れた。荒川が跪いて、正面から見守る前で、数時間かけて素振りをした。

荒川はただ見ているだけではなく、バットが空を切る音に、耳を澄ました。完璧なスイングのときの、「ブーン」という音を求めた。天井から紙を垂らし、サムライが持つような長い刀を振りかざして、スパッと切る練習も始めた。手首と腕を鍛えるためだ。

ジャイアンツの広岡達朗遊撃手は、こうした血のにじむような練習を目の当たりにし、王の努力に驚きを隠せなかった。

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「かなり難しいことをやっていたよ」

王のチームメイトの広岡が語る。

「とくに、あの刀さばき。ブーンと振ると、空気が動いて、紙を押しのけてしまう。紙を切るためには、しっかり命中させなければならない。そのためには手首の力が相当必要だ」

王に言わせれば、

「われわれがやろうとしたのは、武道の原則をバッティングに応用することでした」

投手がどれだけ焦らしても10秒間静止できる

翌シーズン、王はホームランを40本放ち、2年連続でホームラン王に。打率は3割5厘に上がった。

王をしとめるのが、ますます難しくなってきた。投手陣はあの手この手を試したが、無駄だった。

偉大なる400勝投手、金田正一もその一人。金田は、自分の155キロのストレートと、大きく曲がるカーヴは、誰も打てない、と豪語していたが、王に対しては戦略を変えざるを得なかった。タイミングを外すために、つっかえながら投げてみたが、これも効果なし。

この頃になると、王はバッターボックスで、右ひざを持ち上げたまま、丸々10秒間、静止できるようになっていた。もっとも長く焦じらすタイプのピッチャーでも、これでは手の打ちようがなかった。

金田は悔しそうに語った。

「王はどんな球種でも、どんなスピードでも打てる。あの集中力を切らすのが難しい」

ドラゴンズの右腕投手、小川健太郎は、やけくそで、腕を背中から繰り出す「背面投げ」を試みたが、ほかの投手と同様、失敗に終わっている。