日野原ついに逮捕、「秀駒」も新聞に
『戦後政治裁判史録1』によれば、昭電疑獄捜査の発端は、昭電の埼玉県の工場から石灰窒素(肥料と農薬の効果がある)などがヤミで流されていた事件。本社重役や工場長らの秘密指令があったことが判明し、東京地検と警視庁捜査二課が1948(昭和23)年5月24日、昭和電工本社を家宅捜索した。押収書類の中に商工省(現経済産業省)技官への贈賄を記した社長秘書のメモがあった。
一方、それより前の4月27日、衆議院不当財産取引調査特別委員会は、民自党議員の要求を受け、芦田首相以下、のちに昭電疑獄で逮捕される閣僚への昭和電工や菅原通済・鉄道工業社長などからの政治資金流用について真相調査に乗り出すことを決めている(4月28日付読売)。同じ読売の5月7日付1面には「民自党・倒閣攻勢へ」の記事も見える。疑獄の背後に政局があったことは明らかだ。
捜査は進み、6月23日、日野原の逮捕に至る。24日付毎日を見よう。ここで、1人目の「秀駒」、小林峯子が登場する。
日野原社長檢(検)挙 昭和電工不当融資・核心へ
世評に上っていた昭和電工の不当融資に摘発のメスを入れた警視庁捜査二課では先月25日以来、事件の証拠書類一切を押収。社長秘書2人と商工省化学局肥料第二課技官(36)、同局肥料第一課長(38)を贈収賄容疑で検挙し、取り調べを進めていたが、ついに23日、同社・日野原節三社長(44)を逮捕して身柄を警視庁に留置した。
日野原社長の逮捕は技官と課長に対する贈賄の容疑。この日早朝、東京地検2検事の指揮で捜査二課の3主任が世田谷区玉川等々力の同社長の自宅、杉並区和泉町427、小林峯子さん方と昭和電工本社に行ったが、社長の行方は分からなかった。家宅捜索から引き続いて捜査していたところ、午後3時20分、同社長は自分から警視庁に出頭。身柄を留置され、取り調べが始まった。社長の検挙により、問題は昭電事件の中心である復興金融公庫の不当融資と政治献金などにまで波及するとみられる。

