年明けから毎週のように誰か一人は、週刊文春のスクープにより虚飾のベールを剥ぎとられ、隠してきた裏側を白日の下に晒してしまっている。
なにかのインタビューで編集長は「金ピカに輝きながら偉そうにしている人に対して、『王様は裸だ!』と最初の一太刀を浴びせることこそが、私たちの仕事だと考えています」と語っていたが、その言葉は、かつての松本清張作品を彷彿とさせるものがあった。
富や名声を得るために取り繕ってきた暗い過去や黒い秘め事……清張作品の犯人たちはそれを隠し続けるために犯罪に手を染める。だが、結局は守り通すことはできず、全てを暴かれて身の破滅を招いてしまう。清張作品も週刊文春も、「人間は誰でも一皮むいた下には惨めな丸裸しかない」という現実を突きつけてきて、それが野次馬的に下世話な好奇心を煽ってくれる。
今回取り上げる清張原作『ゼロの焦点』も、そうだ。
お見合い結婚をした禎子(久我美子)は、夫(南原宏治)がかつての勤務先の金沢に出かけたまま行方不明になり、自ら探しに向かう。夫の足跡を追って能登をめぐる禎子だったが、手がかりは全くつかむことができない。
やがて夫の死体が見つかり、警察の調べで「夫には現地に内縁の妻がいて、両者の板挟みになって自殺した」と結論が出された。だが、夫が自殺したとは信じられない禎子は、真相を追い求めていく。
そして、禎子は夫が実は殺されていたという結論にたどり着く。だが、その過程の描写は本作では省略されている。真相究明に旅立ったと思ったら、禎子はもう次の場面では既に真犯人に行き着いていて、推理を犯人に突きつけていく――という急展開なのだ。
この唐突さが、意外な効果をもたらす。とんでもない事実をいきなり知らされた――その驚きは、週刊誌で思わぬスクープ記事に出くわした時そのもの。そのため、記事を読み進めるのと同じような野次馬根性とともに、禎子の口から語られる犯人の「秘めたる過去」に聞き入ってしまう。
その結果、犯人の印象がガラリと変わる。それまで犯人はいつも「お上品」にとりすましていて、いけすかない印象だった。だが、真実が明らかになるにつれ、知られたくない過去を必死に隠そうとする、いじましいまでに哀しい姿が浮かびあがる。目の前で唐突に虚飾を剥がされてしまう犯人は惨めに映る。ただ、だからこそ当初の厭らしさが消えて人間臭さが前面に出て、着飾った時より輝いて見えた。
「偉そう」の裏に隠された、裸の人間のチャーミングさ。それを垣間見られるから、週刊文春も清張作品も楽しい。