同局は当時、高知県出身者を招いてインタビューをする番組を制作しており、徳久さんは高知工科大学で公開収録をしてはどうかと提案したのだった。局の担当者は乗り気になり、やなせさんを招くことになった。徳久さんは収録時に裏方として働き、やなせさんに色紙をもらった。が、実際に付き合うのは「ハガキでごめんなさい全国コンクール」が初めてと言ってよかった。
やなせさんが後免町の人々に提案した“商品”
やなせさんがもう一つ後免町の人々に提案したのは、生姜(しょうが)を原料にした飴(あめ)の商品化だ。
「東京のやなせスタジオに来たアンパンマンの声優が『この飴はすごくのどにいいんですよ』とやなせ先生に見せたのだそうです。埼玉県の業者が販売していた『大根生姜飴』でした。袋の裏を見たら『高知県産生姜を使用』と記されており、先生は『なんで高知県産と大きく書いてあるのだろう』と調べました。すると高知県は生姜の生産量が全国1位で、しかも『体にいい』と分かり、それから先生はもう生姜、生姜で、味噌汁などいろんな料理に入れるようになりました。このため、『埼玉じゃなく、高知で作ったらいいじゃない』と考えたのです」と徳久さんが説明する。
こちらは、後免町の女性達が取り組んだ。
中心になったのは中村朋子さんだ。地元で行われている土曜市のリーダーで、夫が不動産業を営んでいた。南国市議会議員を5期も務め、同市初の女性議長になった。
「高知弁の『はちきん』(快活で負けん気が強く、元気いっぱいの女性)とは、まさに中村さんのような人のことを言います。統率力があって、姐御(あねご)肌。タレントの島崎和歌子さん(南国市出身)のようなイメージです。商工会や知り合いの女性を誘い、10人ほどで『ごめん生姜アメ研究会』を結成しました」と徳久さんは振り返る。
徳久さんの妻・万希子さん(64)もメンバーに加わった。徳久さん夫妻はクリーニングの会社を営んでいたが、地域活動にのめりこんでいく。

