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「ほう、そういうことですか」。後ろから声が聞こえた。愛媛県の四国中央市から、やなせさんに関係する場所を巡りに来たという高齢の夫妻だった。
「やなせさんは1969年に絵本『やさしいライオン』(フレーベル館刊)を出しています。『やさしいライオン』は石像のイメージで描かれているようです。絵本はヒットしました。出版社が次もお願いしますということになり、アンパンマンにつながっていきます」
やなせさんが弟と剣劇ごっこをした遊び場
すぐ近くに道信山がある。山というより小さな丘だ。地元では「どうしんやま」ではなく、「どんしんやま」と呼ばれている。昨秋訪れた時には草がぼうぼうで、丘の土が崩れて細い道に落ちていた。その後、南国市が整備したらしく、周囲は石垣とセメントで固められ、草も刈り取られていた。「やなせ兄弟の遊び場 道信山」という看板が建つ。
「戦国武将の長宗我部元親が土佐を統一するため、この辺りで合戦をしました。その時に亡くなった人を埋めたのがここだそうです。昔は鳥居があり、丘の上には兜(かぶと)の形をした祠(ほこら)がありました。でも、子供にとっては遊び場ですよね。やなせさんも弟と剣劇ごっこをしたそうです」
大西さんが「この辺りの1961年の写真です」と資料を示した。
舟入川が流れ、鉄道が通っている以外は田畑が目立つ。「ここから後免駅までは菜種(なたね)畑でした」。目の前にはそれを彷彿とさせる菜の花の畑があった。

