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こうした「リアルガイド」のほかに、やなせさんゆかりの場所などでスマートフォンに音声が流れるガイドも導入された。
開発には、ライオンの石像についてやなせさんに尋ねる手紙を書いた当時の小学5年生、徳久文彬(とくひさ・ふみあき)さん(33)も参加した。
「ありがとうといえばありがとうという言葉がこだまになってかえってくる」
「やなせ先生は後免町に対していろんなことをしてくれました。そう考えると、自分も何かしないとという気持ちになります」と文彬さんは語る。
文彬さんの父、徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)は、やなせさんと連絡を取り合いながら後免町の地域起こしに走り回った。「やなせさんが故郷とつながるきっかけを作ったクラスの少年が大人になり、今度はやなせさんを紹介する事業に参画するとは非常に感慨深いですね」と話す。
アンパンマンが頬をちぎって食べさせるように、少しずつ相手のために尽くす。その連鎖が他人のためになり、地域のためになり、何かを動かしていく。
「ありがとうといえば ありがとうという言葉が こだまになってかえってくる ごめん町ありがとう駅」
愛称「ありがとう駅」の「後免町駅」にはやなせさんの詩碑があり、こんな出だしになっている。
やなせさんと後免町の人々はおそらく「ありがとう」が響き合う関係だったに違いない。サビレラーから完全に救うことまではできなかったかもしれないが、まちにはやなせさんの優しさと温かさが残り、今も息づいている。
撮影 葉上太郎
