ちなみに、インターネット上で「千尋は特攻隊員だった」「人間魚雷『回天』の搭乗員だった」という情報があるが、これは史実ではない。
「本当の正義」への問い
太平洋戦争が「大正生まれの男たちの戦争」だったとは多くの識者が指摘している。大正生まれの男子総数1348万人のうち200万人以上が戦死している。実に7人に1人が戦死したのだ。この世代の大量喪失は、戦後日本社会に計り知れない影響を与えたのはいうまでもない。
柳瀬千尋もまた大正10年(1921年)生まれの青年だった。1944年7月28日に呉竹への乗船が発令されてから約3カ月半、彼は一度も内地の土を踏むことなく、帰らぬ人となった。
兄たかしは、弟の死をどう受け止めたのか。やなせたかしは晩年まで「千尋が生きていたらなあ」と口癖のように呟いていたという。そして、「アンパンマンの顔を描くとき、どこか弟に似ているところがあって、胸がキュンと切なくなります」とも語っている。
2013年に出版された最後の著書『ぼくは戦争は大きらい』で、たかしは「正義は一晩でひっくり返る。ひっくり返らない正義は献身と愛だけ」と記している。
アンパンマンが自分の顔を削って飢えた人に差し出す姿は、まさに千尋を含む大正生まれの男たちの自己犠牲の精神を体現している。
暴力ではなく、愛と献身で問題を解決する――これがやなせたかしの戦争体験から生まれた「新しいヒーロー像」だったのだろう。「本当の正義とは、飢えた人にパンを差し出すこと」という信念が、後のアンパンマン誕生につながった。
「人生は喜ばせごっこ」という哲学
やなせたかしは生涯、「人生は喜ばせごっこ」という哲学を貫いた。
弟の死という深い悲しみを、他者への愛と奉仕に昇華させた。アンパンマンという日本を代表するキャラクターは、バシー海峡に眠る10万人以上の犠牲者たちの無念と、生き残った者たちの嘆きから生まれた「命の讃歌」といったら言い過ぎだろうか。