中森明菜、小泉今日子らとともに「花の82年組」に

 レコードは10月21日にリリースされたが、これはこの日以降にデビューした歌手が翌年の各音楽賞で新人賞の対象となったからだ。松本が1981年にデビューしながら、翌年デビューの中森明菜、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、石川秀美、シブがき隊などのアイドルとともに「花の82年組」の一人に数えられるのはこのためである。

「センチメンタル・ジャーニー」は、予約分の10万枚を含め、3週間で26万枚を売り上げるヒットとなった。11月には東京厚生年金会館でファンクラブ結成式を開き、会場に収容できる2400をはるかに超える3万通もの応募があったという。このあと、2作目の「ラブ・ミー・テンダー」、3作目の「TVの国からキラキラ」もヒットし、1982年暮れには狙いどおり、日本レコード大賞などで新人賞を受賞した。この間、当時史上最年少の17歳で日本武道館でコンサートも開催している。

1983年1月7日、中野サンプラザで行われた『ファンタスティックコンサート』で「センチメンタル・ジャーニー」を披露する松本伊代(松本伊代のオフィシャルYouTubeチャンネルより)

「私は意外と慎重派」「振り返ると『やってよかった』」

 1984年には戸板女子短期大学に入学した。当時は普通の生活に憧れており、マネージャーの送迎を断って一人で通学し、多忙な仕事との両立に苦労しながらもちゃんと2年で卒業する。そもそも短大に進学したのは、ちょうど女子大生ブームのさなかで事務所とレコード会社から「女子大生になってみないか」と提案を受けたからだと、のちに明かしている(『週刊現代』2017年7月22・29日号)。

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 在学中には女子大生ブームの火つけ役の一つとなった深夜の生番組『オールナイトフジ』でMCも務めた。同番組出演も、先の武道館公演も、当時の事務所社長からの提案だったという。彼女が後年語ったところによれば、《私は意外と慎重派で、あまり自分から『やりたい』とは思わないタイプ。誰かに『やらない?』と言われたら、悩んで悩んで悩み抜いて、やってみるという感じです。でも、振り返ると『やってよかった』と思うことばかり。新しいことに挑戦させていただくことで、新しい自分が発見できたりもしました》(『ゆうゆう』2022年11月号)。

©文藝春秋

 映画『薄化粧』(1985年)に出演したのもこのころだ。実際に起きた事件をモデルにした同作では、緒形拳演じる主人公の男が、もともとは実直な坑夫だったのが、とある出来事から大金を得たために性格が一変し、元同僚に金を貸したことをだしにその妻を寝取る。男は一方でその元同僚の娘から媚びを売られ、すっかり一緒になる気でいたが、彼女は若い別の男と結婚してしまう。主人公をたぶらかすこの娘を演じたのが、当時20歳の松本であった。