「脱アイドルはいや」「いくつになってもアイドルでいたいの」

 監督の五社英雄は「伊代ちゃんの目には魔性が宿っている」と、蠱惑的な娘役に松本を抜擢したという。劇中では太ももをさらすぐらいであったが、その役どころやポスターでの緒形と絡み合う姿から、世間では彼女もアイドルからいよいよ脱皮かと注目された。しかし本人は公開時、《脱アイドルってとられるのはいやなんです》、《いくつになってもアイドルでいたいの。こんど出す新曲もかわいい内容だし。ただ映画は本格的な作品に出たかった》と世評を一蹴している(『週刊朝日』1985年10月11日号)。

映画『薄化粧』(1985年公開)

 この発言は当時の彼女の葛藤の表れだったのかもしれない。19歳ぐらいからアーティスト志向が強くなり、自ら希望してシンガーソングライターの尾崎亜美から楽曲を提供してもらったり、自身でも作詞をするようになった。しかし、この路線は一部から理解されつつも、以前の曲とくらべると売れ行きが落ちてしまう。加えて、あとから新人アイドルも続々と出てきた。それもあってテレビのベストテン番組にもなかなか出られなくなっていく。

尾崎亜美が楽曲提供した「時に愛は」(1984年)

ベストテンに入らなくなって「投げやりになった」

 数年後のインタビューでは当時を振り返り、《結構、投げやりになりましたね。なんでもやりましたね。きわどい写真集とか、ヤダヤダといいながらやりました。結局、自分がナニをしているのかわからないという……ヌードになっていたかもしれない。(中略)とにかく、ベストテンに入らなくなってからは落ちこんでいたんです》と吐露している(『スコラ』1989年1月1日号)。

ADVERTISEMENT

 一方で20代に入ってからは、タレントショップブームに乗って、所属事務所と共同出資でオリジナルのインナーウェアを売る店を渋谷に開き、売り上げを伸ばすと、さらに原宿など各地に店舗を広げた。20代後半には恋愛小説を2冊出してもいる。恋愛に関してはデビューして5年目くらいには事務所の社長から「そろそろ誰かと噂ぐらいになってこい」みたいなことを言われていたという(『週刊大衆』2022年1月10・17日号)。