「年齢を重ねるごとに、母が私にやたら寄りかかってくると感じることが増えました」
そう語るのは、きょうだいが病弱で小さい頃から“世話係”になることが多かったというのまりさん(40代女性)だ。
自身の経験を元に描いたマンガ『きょうだい、だけどいや』が話題になったのまりさんに、母親に甘えられず責められつづけたという幼少期の経験について話を聞いた。
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「『お母さんはなんで怒るんだろう』って思いました」
──生まれたご家庭のことから教えていただけますか。
のまり 家族構成は共働きの両親と、父方の祖母と、歳下のきょうだいです。すみません、きょうだいの詳しい年齢や性別は伏せさせてください。きょうだいは点滴をずっと繋ぐ必要があっていつもベッドの上にいて、3歳頃に退院したときには歩けない状態でした。
退院した後も食が細かったり体調を崩しやすかったりと、家で暮らしてはいたものの「体の弱い子」という扱われ方をしていました。
──ご両親は下のごきょうだいの看病にかかりっきりだったのですか。
のまり そうですね。私はいつも祖母と留守番だったのですが、祖母は孫に無関心な人で、一緒に遊んだ記憶はないです。基本的には放っておかれて、知り合いの家や祖母の畑に連れていかれて放置されることもありました。
私は3歳で保育園に入ったのですがそれまで同年代の子ともあまり遊んだことがなかったので、お友達との遊び方がわからなくて困った記憶があります。
──ご両親との関係はいかがでしたか。
のまり 母は私と下のきょうだいとの扱いが明らかに違いました。きょうだいは体調を崩しても怒られることはないのですが、私が体調を崩すと、心配されないどころか責められるんです。
小学校低学年の頃、アトピーで急に湿疹がたくさん出て救急外来に行ったときも、「なんでこうなったの?」と咎められ、全く心配されなくて……。
──痒くてつらい思いをしているのに、さらに責められるのは辛いですね。
のまり 私も「お母さんはなんで怒るんだろう」って思いました。それ以降、「苦しい」「つらい」って親に話すことは無駄だという感覚が残って、何かあっても親に相談しようとあまり思えなくなりました。
小学校で一時期無視などの陰湿なイジメにあったときも、「母に話したら私が怒られる」と思ってしまい話せませんでした。