奈良県の橿原(かしはら)は「建国の聖地」である。そう聞いて、違和感を抱くだろうか。
橿原神宮は明治の創建で、近代ナショナリズムの産物にすぎない。祭神の神武天皇も神話上の人物だ。そういう反応はあるだろう。
だが同じことを明治のひとびとが聞いたなら、別の違和感を口にしたかもしれない。聖地という語は本来キリスト教に結びついた表現であり(聖地エルサレムというように)、日本の神社や場所にあてはめるのは不適切なのではないか、と。
そう、戦前に形成されたのは建国神話だけではなかった。聖地という枠組みも、じつは近代以降に定着したものだった。本書はその意外な事実を史料の博捜を通じて解き明かしていく。
鍵となる人物は日蓮主義者の田中智学(ちがく)である。八紘一宇の造語者としても知られる彼は、聖地という用語をはじめ日蓮の故地に用い、さらに大正期以降は皇室ゆかりの場にも広げて、その訪問を促した。関東大震災などで社会不安が広がるなか、天皇を核とする国民意識の強化が追求されたのだ。
ただ、それだけでは知識人層にしか響かなかったかもしれない。聖地という概念の一般化には、ツーリズムの存在も無視できない。
第一次世界大戦後、鉄道網の拡充にともなってひとびとの移動が活発化し、大衆ツーリズムが勃興した。そのなかで鉄道会社などによって伊勢神宮や橿原神宮などへの訪問がうながされた。ここに聖地という用語が入り込むことになった。
本書は、このプロセスを「キリスト発、日蓮経由、皇室ゆき」と、絶妙なフレーズで言い表している。
こうして聖地ツーリズムはひとびとに共通体験を与えたいっぽうで、聖地という「正しさ」ゆえに、共感しないものへの同調圧力を生み出すことになった。いわく、「橿原へ行かざれば人にあらず」と。
戦前の日本というとはじめから「国家神道」一色だったように思われているが、近年よく指摘されるように、実際は70年余という長い歳月のなかでさまざまな紆余曲折があったのである。
さて、最初の問いに戻ろう。われわれは「建国の聖地」と聞いたとき、建国には違和感を覚えても、聖地という表現については聞き流していた。本当に向き合うべきナラティブは後者というべきだろう。
明治維新では、神武創業への回帰が掲げられた。だが、その実態は西洋化にほかならなかった。そのなかで建国神話ですら知らないうちにキリスト教的な語彙で語られ、かつて猥雑だった日本の宗教空間もすっかり「浄化」されてしまった。いまや日本に還れと叫んで聖地をめぐったところで、そこで出会うのは西洋の模造かもしれないのだ。
悲しむべきか。いや、むしろ日本の本質はこのような文化の混淆にこそあるともいえるのではないか。本書は現代日本のあるべき姿を考えるうえでも示唆に富む出発点を与えてくれる。
ひらやまのぼる/1977年、長崎県生まれ。神奈川大学国際日本学部准教授。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は日本近現代史。主な著書に『初詣の社会史:鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』、『鉄道が変えた社寺参詣』。
つじたまさのり/1984年生まれ。評論家・近現代史研究者。新刊『「あの戦争」は何だったのか』が7月17日に発売予定。



