さらに金正日の髪の毛のカットも担当しており、射撃の名人でもあった。マージャンも一緒に楽しんだ。プライベートな場面では金正日を「パパ」と呼び、金正日は容姫を「あゆみ」と日本風の名前で呼んだ。容姫は藤本の前では朝鮮語しか話さなかった(『金正日の私生活』)。トレードマークだった金正日のジャンパーも、夫人のデザインだったという。ボディガード兼世話役と言えるだろうか。
金正日は、容姫夫人を全面的に信頼していた。そのため、行動の自由が認められており、子どもたちを連れてよくヨーロッパに出かけた。
ナマズ料理が得意
藤本は、高容姫の誕生日を6月16日と著書に書いていた。じつは勘違いで、後に6月26日だったと自分で訂正している。その誕生日をどう祝ってもらったのか。『金正日の料理人』に関連の記述がある。
誕生パーティーには、北朝鮮を代表する普天堡(ポチョンボ)電子楽団や旺載山(ワンジェサン)軽音楽団が、様々な演目をステージいっぱいに繰り広げた。藤本もハンカチをサックスに見立てて演奏するハンカチ・サックスを披露した。本当の音は別の場所から出ているが、ハンカチで演奏しているように見せる宴会芸だ。
藤本はサム・テイラーの「ジャニー・ギター」と、韓国の「サランヘ(愛している)」の2曲に合わせ、情感たっぷりに演技してみせた。終わると、割れんばかりの拍手をもらった。演奏を終えて、金正日にワインを注ぎに行ったところ、「藤本、サクソフォン、チョンマルチャレ(本当に上手だ)」と褒められたという。
大々的な妻の誕生パーティーの様子から、金正日の寵愛ぶりがうかがえる。平安北道(ピョンアンブクド)昌城(チャンソン)郡にある昌城招待所に来たときには、必ず1回は容姫夫人の手料理のナマズ料理が食卓に上った。ナマズは近くで釣れたものだ。
トウモロコシを原料とした「カンネギ・クッス(トウモロコシうどん)」という冷麺も得意料理だった。「夏の暑い日に食べる冷麺は、本当においしかった」と藤本は回想している。
