「藤本さん、日本に帰りたくないですか」

 高容姫はこまやかな気遣いをする女性だったこともうかがえる。2000年8月のある日、元山招待所にある金正日の官邸棟で鰻を料理し、鰻丼にして出した。

 金正日は、「とてもおいしかった。今日は本当にありがとう」と感謝し、藤本はその後たびたび鰻丼を出すことになった。藤本が容姫から呼ばれたのは、その頃のことだ。例のスーパープールに行くと、彼女はプールサイドの椅子に座っていた。

「藤本さんには、寿司はもちろん、いろいろなおいしいお料理を将軍様のために作ってくださって、本当に感謝している。それに、スポーツは何でもお得意だし、宴会の時もサックスを演奏して下さり、ありがとう。また、今日は、おいしい鰻丼も作ってくださって、家族皆で本当においしくいただきました」と言い、白い封筒を差し出した。

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 それからややあって、容姫はこうも言った。「藤本さん、日本に帰りたくないですか」。

 藤本は日本で北朝鮮のことを聞かれるままにしゃべって叱責されたことがあり、再度の帰国は半ば諦めていた。しかし、日本に残した家族に会いたい気持ちもあり、その心情を思わずに口にした。

 すると容姫は、「そうでしょう。将軍様に私からお話ししておきましょう」と、先回りしてくれた。丁重に礼を言って自分の部屋で封筒を開けると、なんと5000ドル(現在のレートで約75万円)もの大金が入っていた。

 その数日後、金正日から、「日本に帰ってもいい」と言われた。「おそらく夫人が、金正日に私の帰国を頼んでくれたのだろう。私は夫人に心の中で何度も御礼を言った」。(『金正日の料理人』)

 ただし、藤本は「金正日が愛してやまない夫人の存在を一般の北朝鮮国民はほとんど知らない。知らされていない。写真を撮っても幹部や私にも渡されない」(『金正日の私生活』)と徹底的に秘密にされていたことにも触れている。このことは、北朝鮮の後継者となった正恩にも重荷になっていく。

次の記事に続く 「妻の死を知った金正日は泣き崩れ…」大阪生まれの“金正恩の母”が亡くなる直前に撮られた治療中の姿〈現在の金正恩に酷似…〉

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