まだまだ続く。
「私(高容姫)という人がこの世に知られても知られなくても、そんなことは重要ではありませんとおっしゃられ、一度も紙面や画面に出られたことがない」「いつも素朴な服装で気軽に話を分かち合われる」「お母様にお目にかかった多くの幹部、軍人、人民、外国の友人は、一瞬で心を引かれ全ての魂で従い、支えました」
母を本格的に偶像化しようとしていたことはうかがえるものの、生まれや経歴、名前も紹介されないまま、ナレーターの女性はひたすら業績を並べ立てる。見れば見るほど、不可解さが募ってくる。
偽名「李恩実」
この記録映画については、関西大学教授で、北朝鮮問題に独自の人脈を持っていた李英和(2020年死去)が、月刊誌「Hanada」(2018年11月号)に興味深い文章を書いている。「金正恩最大のタブー『母は在日朝鮮人』」というタイトルの記事だ。
この中で李は、この記録映画の裏話を明らかにしている。それによれば、2012年5月に労働党の限られた幹部が、この映画の試写会に参加した。この年の12月に一般向けに公開を予定していた。しかし試写会に出た幹部たちは「失うものばかりで得るものがない」と公開に強く反対し封印されてしまったという。
主人公の女性の名前や経歴が明かされていない理由は、記録映画の製作時期と関連があると李は見ていた。記録映画は、「党中央委員会、映画文献編集社」が2011年に制作したもので、存命中だった金正日の許可を得て撮影、編集を進めていたが、高容姫の扱いを決めないまま金正日は他界(2011年12月)してしまう。
このため映画の冒頭で、主人公の女性を「李恩実(リウンシル)」という偽名で紹介することが計画された。後継者となった正恩が、父から「正」、母から「恩」の一字ずつもらったという筋書きにするためだったが、これも不自然だということで見送られた。
もう一つ、李が指摘したのは、3代目の権力継承者となった正恩と母親のシーンの極端な少なさだ。正恩が机に座って勉強するのを見たり、一緒に植林をしている場面はあるが、わずか数カットしかない。しかも全て静止画だ。なぜ、国民にアピールしやすい動画がないのか。
李の分析では、当初は長男の正哲を後継者にするつもりで映像を撮りためていたが、急きょ弟の正恩に差し替えたため、母(2004年死去)とのツーショット映像が準備できなかったのではないかという。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。