北朝鮮の最高指導者・金正恩総書記の母である高容姫。彼女は大阪で生まれ、小学校4年生まで日本で過ごした在日コリアンだった。北朝鮮に「帰国」したあと、持ち前の美貌でトップレディの座を射止め、故金正日総書記との間で2男1女を産み、育てた。
誰もが知っている人物でありながら、北朝鮮では最も隠された存在でもある。金正恩自身すら、自分の母親について公の場で話したことはないという。
ここでは、ジャーナリストの五味洋治氏が徹底的に取材を重ねて高容姫の実像に迫った『高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン』から一部を抜粋。金正日の料理人として知られる藤本健二に、彼女がかけた気遣いの言葉とは――。(全5回の3回目/最初から読む)
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秘書、遊び仲間、理髪師、ボディガードを兼務
金正日は大変な乗馬好きだった。運動神経がよかった容姫は乗馬にも同行していた。1992年のある日、思わぬ事故が起きる。いつものように、藤本が金正日の後ろから馬で走っていくと、右に曲がるカーブのところに金正日の馬だけが停まっている。なんと金正日が落馬して地面に倒れていた。カーブの部分の道路はアスファルトの補修中で、コールタールの上に砂利が敷かれていた。そのため、馬の前足が滑ったらしかった。
金正日は、頭と肩を強打し意識不明になっており動かない。まもなくして医者が駆けつけて、担架に金正日を乗せ、なんとか部屋まで運んだ。
夜になっても金正日の意識は戻らなかった。どうやら鎖骨も折っているらしかった。翌日、絶対安静のまま専用列車で平壌に戻った。10日後、金正日は目の周りにアザを作り、右腕を包帯で吊った状態で現れた。
金正日が落馬して、大けがをしたことがきっかけになって、藤本は金正日の仕事の内容を目にすることになった。回復するまで金正日は、屋敷内の治療室でリクライニング式のソファに座っていた。机の上には各機関から届いたFAXが山積みされていた。金正日は容姫夫人とその秘書とともに、その1枚1枚に目を通していた。高容姫は大量に届く資料や決裁書類に目を通し、夫に報告する秘書でもあった。
