路地に入ると、風景がガラリと変わり…

 上北台駅から新青梅街道を渡って芋窪街道をそのまま北へ。そうすると、少しずつ町の風景が変わっていくのがわかる。芋窪街道はまだ幅広の大通りだからそれほど実感はできないが、路地に入れば一目瞭然だ。

 

 ニュータウンのそれとはまったく違う家屋が並び、自然の地形に沿ってくねくねと曲がりくねった道ばかり。

 その真ん中を空堀川という文字通り水がほとんどない小さな川が流れている。空堀川が台地を削ったのか、川沿いは急激な上り坂と下り坂になっていた。

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 空堀川を渡ってからもさらに北に進んでゆくと、真正面には緑の木々が茂る山が見えてくる。東京都と埼玉県を隔てる狭山丘陵だ。その奥には多摩湖があって、多摩湖を渡った先にはベルーナドームが控えている。

江戸の市街地まで続く青梅街道

 そして、この狭山丘陵の裾を東西に通っているのが、青梅街道である。

 青梅街道は江戸時代の初め頃、成木村の石灰石を運ぶために整備されたのだとか。時代が下って甲州方面への抜け道のひとつになり、また農産物の輸送などに使われた。

 江戸時代中ごろには新田開発も行われ、狭山茶の生産が盛んになったという。きっと、生産されたお茶は青梅街道を辿って江戸の市街地へと運ばれたのだろう。

 

 古い地図を見ると、明治に入っても……どころか終戦からまもない時期までも、ほとんどこの一帯は桑畑や雑木林が広がっていたようだ。集落というべき集落は、青梅街道沿いにあるくらい。典型的な農村風景、国木田独歩のいう「武蔵野」そのものだった。