会社員に転身すると「売れっ子営業」に
それから4年間は日本各地を巡った。行ってみたいと思ったところを訪ね、そこで数日から数カ月働き、また違う町に移るという気ままな旅だったという。春から秋は料理人の仕事を、冬は雪山にこもってスキーのインストラクターをして過ごした。
旅暮らしをやめたのは、30歳を前にしたころ。学生時代から縁があった女性と入籍したのを機に就職活動をして、大手食肉加工品メーカーの会社員になった。この会社を選んだ理由が、しおりさんらしい。
「魚のことは学生時代にたくさん勉強したけど、肉のことは知らなかったからね。肉を覚えるために、肉の営業になりました」
それまでの自由な生活から一転、スーツを着て会社員に。この環境の変化を苦にせず、しおりさんはすぐに馴染んだ。それだけでなく、売れっ子営業として活躍し始める。
「私は、なにをやるにしても『お金の取れるレベルになりたい』と思っているの。そのためには、周りをよく観察してその道のプロを目指せばいいんだわ。中途半端にやると大変かもしれないけど、プロになろうと一生懸命勉強して、知らなかったことがわかるようになるのが面白いの。なんでも一緒よね」
料理人としての味覚も、営業の役に立った。しおりさんが目を付けたのは、当時注目されていなかった和牛のメスの肉。「すっごくおいしい」と気づき、顧客に提案するようになった。味の選択肢が広がるため、取り引き先に喜ばれた。
取り引き先に自信を持って肉を届けるために、自分が扱う肉の出荷がある時には、必ず倉庫に出向いて自ら検品した。提案力に加えて品質管理も徹底するしおりさんは取り引き先の信頼を得て、どんどん成績を伸ばした。
会社から引き留められるも、塾講師に転身
会社員として評価を高めていたしおりさんが、退職願を出したのは35歳の時。妻が開いた学習塾・明教館の仕事に集中するためだった。
明教館は1年目で300人を超える生徒を集め、その後も年々規模を拡大していた。生徒数に比例して大学生の講師も増えていくなか、しおりさんは会社の仕事の合間に「講師の講師」として大学生に授業のやり方を教えていたという。
明教館の生徒数が最も多い時期には、すぐ近くの中学校に通う生徒の3分の2が入塾する規模に。ついに手が回らなくなった妻から「手伝ってほしい」と頼まれたのが、退職のきっかけだ。大口の顧客を抱えていたため会社からは当然引き留められたというが、当のしおりさんは「肉の勉強もできたし、ぜんぜん未練なし!」。再び「お金の取れるレベルになること」を胸に、新たに教育の世界へ飛び込む。
子どもたちと向き合う上で意識したのは「子どもたちにわかりやすい内容にすること」。当たり前のことだと思うかもしれないが、職人気質のしおりさんはそこを徹底的に突き詰める。膨大な魚の研究をしたように、いじめに屈せず料理を学んだように、営業マンとして顧客の信頼を得たように、飽くなき探求心で子どもたちの心をつかもうと努力を重ねた。
「それまで分からない、分からないと言っていた子が、分かった! となる瞬間、顔色が変わるの。それが面白くって。そうやってなにかひとつが分かるようになると、芋づる式にいろいろ理解し始めるんです」
持ち前の向上心とコミュニケーション能力を武器にトップ営業に上り詰めたしおりさんは、塾講師としても才能を発揮。教え子たちを難関高校、難関大学に送り込む。さらにその後、剣道の道場やレストラン経営など、マルチな才能を開花させていく――。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。
