死について考える病院で迎える“死”

現在の日本では、調子が悪くなれば病院を受診して、必要があれば入院します。死亡者のうち、約70%は病院で亡くなっています。

これは日本の社会保障の枠組みが1970年代に完成してから、大きな見直しがないままになっていることが関係しているのでしょう。

1970年代といえば、経済も人口も右肩上がりに成長していた高度経済成長期です。当時の日本人の平均寿命は、今より10年以上短く、男性は69歳、女性は74歳で、高齢化率(総人口に対する65歳以上の割合)は7%でした。

ADVERTISEMENT

医療の対象者は青壮年期の人ですから、とにかく救命・延命という「治す医療」が必要とされていました。ちなみに1970年代は、病院で死亡する人よりも自宅で死亡する人のほうが多かった時代です。

少し前までの日本では、治療によって病気を治癒し、社会復帰を目的とする「病院完結型」の医療が必要とされており、それで大きな問題はありませんでした。

しかし、高齢化率が30%近くになり、超高齢社会、多死社会を迎えた現在の日本では、少し事情が違ってきています。

高齢者への医療処置については、医療施設によって判断が分かれますが、「治す」ことを目的としているかぎり、老衰で亡くなろうとしている人にも、最期まで積極的な治療を行うことになります。

例えば、看取りが近い高齢者が発熱して息苦しくなり、救急搬送されたとします。そこで誤嚥性肺炎と診断されると、治療のために入院して絶食となるケースが少なからずあります。本人の意思を確かめることもなく、点滴や人工栄養が始まり、寝たきり、(場合によっては)身体拘束、吸引というつらい処置が重なり、徐々に容体が悪化して、病院で亡くなる方が多いのが現状です。

高齢になり、身体機能が落ちてくると、老衰で食べられなくなるのは自然なことです。そのような場合でも、点滴で栄養と水分を補給するために絶食となり、人生の最期に好きなものも食べられない……。はたしてこのような死は幸せといえるでしょうか。できれば避けたい、私はそう思います。