ニュータウンが村を飲み込んだ“きっかけ”

 古くからの唐木田の住民たちは仮住宅への集団移転を余儀なくされ、彼らが暮らした古い集落は、山は削られ谷は埋められてまったく新しいニュータウンに変貌していった。多摩ニュータウンまで小田急線が延びたのは、1970年代半ばのことだ。

 

 ただこの時点ではまだ、唐木田までは線路は延びていなかった。宅地造成こそ形になっていたが、まだ本格的な開発には至らなかったのだ。多摩ニュータウンの開発最中に田中角栄先生の列島改造論が世を席巻、地価が急騰して開発が思うように進まなくなったことも関係しているのかもしれない。

 

 いずれにしても、唐木田まで小田急線がやってきたのはだいぶ遅れて1990年になってからだ。

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 これも別に町が開発されたからというよりは、隣接する車両基地のためという意味合いが強かったのだろう。それでも、結果として唐木田駅開業以後、周辺はあっというまに現在のような住宅地、つまりニュータウンの一角に飲み込まれていった。

 

唐木田には何があるのか?

 唐木田駅周辺の住宅地を歩いていると、高度経済成長期のニュータウンとは少し違う雰囲気を感じることになる。

 案外にお年寄りが少ないし、子どもたちの喚声も耳に入る。全国的に課題になっているような、“高齢化に悩むニュータウン”の図式は少なくとも唐木田には当てはまらないように思える。

 
 

 それは、たまさか小田急線が達したのが1990年であり、それ以降に開発が本格化したエリアだから、ということか。

 そして、そんな唐木田のニュータウンの南に出れば、ほんの10分も歩いたところに広がる多摩丘陵の原風景。その合間には丘陵の起伏を活かしたゴルフ場がある。

 郊外に向かって拡大を続けた東京のベッドタウンの最果て。開発の波のせめぎ合いが感じられる町が、終着駅・唐木田なのである。

 

写真=鼠入昌史

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