伝説の斬られ役、福本清三さんも出演するはずだった

安田 これは半分時代劇やからお金はかかるやろうなと、珍しく企画書なんか書いて知り合いの中小企業とか回ったら、何社かから「応援させてもらうわ。安田君の作ることやったら面白いし」と言ってくれはる企業さんがあって。で、しめしめと思っていた矢先にコロナがやってきて、頼りにしていた企業さんがコロナで映画どころじゃない感じになっていたので、2年ぐらい止まっていたんです。そんな時に出演の内諾を頂いていた福本清三さんがお亡くなりになって。この映画、間に合わへんかったわと思って。

——福本さんはどの役を予定していたんですか?

安田 年老いた斬られ役という設定で登場してもらおうと思っていたんですけれども、東映の人から、福本さんは特例で、通常やったら福本さんの年齢やったら残っていても殺陣師で、現役の斬られ役という設定は違和感があると言われて。それで殺陣師に変更して書き直したんです。福本さんは『ごはん』に出てもらった時から「道楽でこんな映画なんか作って」みたいな感じで気にかけてくれてはったんです。亡くなった時、ものすごく素敵で謙虚な方やったので僕も落ち込んで、もうこの映画もやめようかなと思いました。でも止めたらそれこそ福本さんに怒られるなと、小道具作ったり、コロナ下でできることをやってましたね。

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京都東映撮影所が協力を約束

安田 で、福本さんが亡くなって1年少したった翌年の4月に、福本さんを担当されていた方から連絡があって、「ちょっと撮影所に来てんか」と言われて行ったら、小さい部屋に連れていかれて。そこには進藤さんという当時の名物プロデューサーがいらっしゃって、床山さん(注2)とか、美術さん、それから衣装さん、それから装身具さん、刀とかのレンタル屋さんとか全員集まってくれてはって。で、進藤さんが「安田さんがこの本書かはってんけどどうにかしたってぇな」と言わはったんです。すると美術の辻野さんと言う方が「わしらは自主映画で時代劇を撮るといったら全力で反対するんや。お金がかかって大変やから。けども、これはホンがおもろいから、何とかならへんかなと思って集まってんねん」と。

『侍タイムスリッパー』

 それで進藤さんが、「7月8月やったらどうせオープンセットはほとんど使わへんから、安くで使わせてやるわ」と言うてくれはったんです。ほんなら、衣装さんも「まあ、何か新しいものを作ったりしたら大変やけども、あるものを出すだけやったら何とか安くできると思う」とかって。床山の大村さんは「まあ、これはタダっていうわけにはいかへんけど、自主映画やからこのくらいで」って、サラサラッと書いてくれた金額が、僕の思った半分以下やったんです。「そこまでやらはるんやったら、うちも勉強させてもらいますわ」って、装身具レンタルの高津商会さんが泣く泣く出してくれはった金額も半額以下で。

 それでもトータルだと2000万円以上するんです。貯金が1500万ぐらいあったので全部はたいて、自分はホンダのNSXと言う車に長い事乗っていたので、それを売っ払って、あと足りひん分はAFF2(注3)の補助金を取れれば何とかなるやろうと。それでもまだ逡巡していると、進藤さんが「そやけど、わし今年の年末で退職やから、撮るとしたらこの半年のワンチャンやで」と言われて、「それならやります」と思わず即決してしまいました。それから大慌てで主演の方とかロケ場所を探して。