いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちに8ミリ映画など自主映画時代について聞く好評インタビューシリーズ。第12弾は特別編として、仏文学者・映画批評家である蓮實重彦氏に登場していただいた。蓮實氏は70~80年代にかけ立教大学で映画についての講義を行い、受講生の8ミリ作品を授業で上映。そこから多くの映画監督が育った。そのひとりである小中和哉監督が、恩師に聞く。(全4回の1回目/2回目に続く) 

©藍河兼一

はすみ・しげひこ 仏文学者、映画批評家、文芸批評家。1936年東京生まれ。東京大学仏文学科卒業、パリ大学にて博士号を取得。東京大学教授を経て、97年東京大学第26代総長となる。78年『反=日本語論』で読売文学賞、89年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞を受賞。1999年にはフランス芸術文化勲章コマンドールを受章する。著書に『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』『夏目漱石論』『監督 小津安二郎』『表層批評宣言』『「ボヴァリー夫人」論』『ショットとは何か』(3部作)『ジョン・フォード論』他多数がある。

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 蓮實重彦さんが立教大学で実施していた「映画表現論」の受講生からは、数多くの映画監督が生まれている。黒沢清、周防正行、青山真治、塩田明彦、万田邦敏、篠崎誠……そして僕もその一人。蓮實さんの授業を四年間受けたことは、僕にとって大きな財産になっている。この授業では学生が作った8ミリ映画を毎年上映して、蓮實さんに講評していただいていた。今回は特別編として蓮實重彦さんに当時の自主映画をどのように見ていたのか、授業で何を伝えようとしていたのかをお聞きした。

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「これが映画だ」というものに触れてほしい

――40年ぶりにお会いできて嬉しいです。

蓮實 わたくしも小中監督と久しぶりにお目にかかれて、鈍く興奮しています。それにしても、40年ぶりですか? 

――はい。

蓮實 わたくしの記憶の中では、あなたは商業的なデビューが早い方ではないかという気がしていました……。

――撮っている映画が商業映画的だったからですか?

蓮實 そういうことだったからかも知れません。

――商業映画しか見てなかったし、作りたい映画もそういうものだったんですね。蓮實先生の授業を受けるようになってから、観る映画に幅が出るようになりました。