――『白い肌に狂う牙』(注1)というホラー作品ですね。

蓮實 そうです、そうです。

――他に周防正行さんとか青山真治さんの8ミリも上映されました? 

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蓮實 わたくしには、学生時代の青山真治の記憶がほとんどありません。ところが、彼が素晴らしいレポートを書いて提出したのです。こんな高度な批評的分析を書ける人がいるのかと思ってビックリした記憶はあります。しかし、立教での授業中の青山さんとの関係はほとんどありませんでした。

――じゃあ、青山さんが映画を作られるようになってからのお付き合いなんですね。

蓮實 そう。ダニエル・シュミットの助監督をやって、その時に久しぶりに再会したのですが、いつのまにかこんなに髪を長くしていたので、吃驚しました。ですから、青山真治と本格的につきあい始めたのは彼の卒業後のことです。もちろん、授業中、彼の8ミリ映画を上映したことはなかった。ですから、彼の商業映画の第1回作『Helpless』(1996)を見たときには、深く感動しました。

©藍河兼一

――黒沢さんが学生の時からリチャード・フライシャーの話をされていたんですか?

蓮實 ええ。わたくしの授業に積極的に参加してくれる人たち——黒沢さんとか万田邦敏さんとか——と一緒に喫茶店に行って、授業の後におしゃべりをした記憶もあります。そこで、「この若者はこんなものまで見て狂っておる!」と驚いた記憶があります。

――僕の代でも授業のあと蓮實先生と黒沢さんが喫茶店に行く時、SPP(注2)のメンバーとご一緒させていただきました。

蓮實 黒沢さんの世代の仲間たちとは、そういうことをごく自然に行っていました。しかし、当時の立教には「SPP」のみならず、「映研」とかいろいろな流派があったわけでしょう。

――そうです。周防さんと青山さんは違うサークルでした。映画を作るのに熱心だったのがSPPで、他は評論系だったかと思います。

映画の中で何が見えたか、が重要

――先生の授業で印象的だったのは、次の週までにこの映画を見なさいと課題を出して、次の授業で学生たちに「何が見えましたか?」という質問をされていたことです。普通ストーリーがどうとかテーマはなんだとか言いがちなんですけれども、そういうことを言うと怒られた。

蓮實 怒りましたか(笑)。 

――そういうことじゃないんだ。何が見えたかだと。

蓮實 そうです。

――そこの狙いを改めて説明していただけますか?