蓮實 一本の映画というものは、現実に存在するものではないじゃないですか。上映されている間は確かに現実のものなのですが、終わった途端にそれはたちまち非現実になっちゃう。もうどこにも存在していない。ならば、その中で語られている物語の内容よりも、それがどのように語られているかという画面とその連鎖をこの目で記憶に焼きつけることが重要である。だから、その細部を具体的に見なければいけない。映画で物語をたどることと画面を見ることとは、まったく異なる体験だから、こんなショットがありましたとか、このショットとショットのつなぎが面白かったとか、そういうことを言ってほしかったのです。この映画の主題は何ですかなんていったら、「そんなものはどこにも映っておらん!」とかいって怒ったりしていた……。

――黒沢さんもそれで今まで映画を見ていなかったことに気づかされたと言っていました。具体的に何が映っていたかということのみで語る。それはすなわち、映画の演出。映画監督が何を見せて、何を感じさせようとしているのか、そういうことだったんですね。

蓮實 そういうことです。演出といいますか、演出術を学ぶというよりも、むしろ画面に何が映っていたかということのほうが、誰が監督したかということなどよりも遥かに重要なことだという気がしていました。それを立教の授業で実践できたことは、学生たちの質の高さからして幸運きわまりないことでした。

ADVERTISEMENT

――僕が一つ覚えているのは、加藤泰監督の『炎のごとく』を見てきなさいと言われて、誰かが答えた答えの中の話だったと思うんですけれども、「スイカが映っていました」と。そのスイカはじゃあどういう意味だという議論になって、スイカは丸い、丸いというのは女性の象徴だという、そこだけ覚えていたんですけど、この前、見返したんですよ。そうしたら、おりんという倍賞美津子さんが演じる前半で亡くなってしまう瞽女の遺品として丸い鈴が出てきて、後半で代わりのヒロインになる女性のシーンでスイカが出てくる。だから丸い鈴と対応するものとしてスイカが出てきたんだということを、見返してようやく理解しました。先生は覚えていらっしゃいますか?

蓮實 はい、加藤泰の『炎のごとく』のことは、良く覚えています。

――そういうところを見ろと。

蓮實 そうです。あくまでも画面を見てくださいというのが、わたくしの授業のエッセンスでした。