「腹中の敵」 1955年(宮部みゆき・選)

宮部 ふたたび史伝から1作。大河ドラマの主役級ばかり出てきて、これまた部下との会話にうってつけの1冊です。短編ですが、秀吉の黎明期から、栄華を極め堕ちていくまでの長い年月を描いていて、教養の足しにもなる。自ら腹を切り、取り出した“敵”を刻むという非常に血なまぐさいラストシーンで幕を閉じるところなど、読了後も強い印象が残る作品ではないでしょうか。

松本清張

北村 私は菊池寛的な作品だと感じました。主人公の丹羽長秀が、秀吉の姿を見ながら「俺はこう思っているが、つまりこう思う気持ちというのは……」とひたすら自己分析をしていく。自分の心の内を見つめて掘り下げていく態度が、まさに菊池寛のような処理の手法です。

宮部 天下人になる秀吉は輝かしい部分を持つ一方で、胡散臭さもありましたから、決してみんなに愛されたわけではありません。長秀のように、秀吉を意識するあまり、こじれていく男も多かったでしょうね。

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有栖川 私は、この作品は出力を変えたら推理小説になると思いながら読みました。人がある特技を持つがゆえに贔屓され、一方それを理由に恨みを買ってもいる……こういう状況下で事件が起こる。これは時代ものだけでなく、現代ものでも描かれるシチュエーションです。たとえばこれを“動機”として読者に隠して書くと、推理小説になる。

宮部 その視点は思いつかなかったです。つまり組み立て方、書く順番を変えると推理小説にできると?

有栖川 そうですね。「彼はその時、こんな思いであった。だからこの行為をするに至った」と謎解き前に入れ込むと、事件に説得力が生まれます。こういった考察を挟むことで、小説に深みを出し、論理の説得力を増す手法こそが、清張ミステリなのではないか、と思いました。