「死亡通知取り消し」のはがきが届いた

「上官が私のために書いてくれた弔辞が、仏前に供えてありました。いかに自分が勇猛果敢で、優れた陸軍兵士であったかがとつとつと綴られていましたよ」と中村はいたずらっ子のように笑ってみせた。

「だって、生きているうちに自分の弔辞を読むことができるなんて、そんな人はめったにいないでしょう」

 中村が生還したことを知った第一復員省から、すぐに新たな通知が届いた。

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「戦死の届けを取り消すために、直ちに復員省へ出頭するように……。そんな呼び出しの文面でした」

 死亡届の提出によって、中村のこの国での“籍”は消失していたのだ。その後、「死亡通知取り消し、と記されたはがき1枚が届きました。命懸けで戦ってきて何とか生還した命に対し、たったはがき1枚のやりとりでした」

 あまりにも人として血の通わない“お役所仕事”に、中村はあきれたが、もう怒る気力も失っていたという。

特攻作戦で乗り込んだ「呑龍」の模型を手に、操縦方法を説明する中村真さん(書籍より転載)

故郷の人々からは“戦犯”扱いをされた

「私が通っていた地元の小学校の先生は教会の牧師さんでもあったのですが、帰還した私の顔を見ると、いきなりこう言ったのです」

「なぜ、お前は帰ってきたんだ!」と。戦犯者を見るような冷たい目だったという。戦場へ送り出されるときは、みんなが「万歳、万歳」と英雄のように称えていたが、命を懸けて戦い、生き抜いた若者たちを、終戦後、この国は温かく迎え入れようとはしなかったのだ。

「命からがら帰国してみると、この国はあまりにも変わり果てていた……」

 故郷の自分のことを幼いころからよく知る者でさえ、「よくぞ生きて戻ってきてくれた」とは言ってくれず、「なぜ帰ってきたのか」が、その答えだったのだ。