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“背の君”からのアドバイス

――悲劇的な事件に見舞われた少年少女のその後を描く『嘘』(17年新潮社刊)で、村山さんがヤクザの内実を生々しく描かれていて驚きましたが、あれは背の君のアドバイスがあったんですよね?

村山 そうです(笑)。ちなみに『ミルク・アンド・ハニー』では彼の背中の刺青の模様は変えました。「どんなデザインがいい?」って聞いた上で(笑)。

嘘 Love Lies

村山 由佳(著)

新潮社
2017年12月26日 発売

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――(笑)。ところで、『嘘』では映画の「スタンド・バイ・ミー」が念頭にあったとおっしゃっていましたよね。その次のブラック企業の問題を扱った『風は西から』(18年幻冬舎刊)では映画「エリン・ブロコビッチ」が頭にあったとか。『ダブル・ファンタジー』や『ミルク・アンド・ハニー』はそうした頭にあった映画はなかったとは思いますが…。

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村山 そうですね、今回は映画をイメージするというよりは、自分の目が見て感じてきたことをどう言葉に書いていくか、でしたね。

――『風は西から』でブラック企業を書こうと思ったのはどうしてですか。

村山 最初は「『プラダを着た悪魔』みたいなお仕事小説を書いてほしい」と言われていたんです。「書いたことがないのでいいね」と返したのが発端だったんですが、ちょうどその頃に過労自殺の事件があったんです。その裁判についても本が出て。それで亡くなった方の尊厳を守るために闘い続ける女性の話が浮かびました。なにより、ブラック企業の問題や過労死の問題を聞くたびに強く思うのが、なんで、特にネット社会で、亡くなった方がこんなに石を投げられるんだろうということ。「弱かったからだ」「逃げられたはずだ」みたいなことを言われてしまう。「あなたその人のことをどれだけ知って言ってるの」って思ったんですよ。自分自身の想像力の乏しさを顧みもしないで、よくそういうことが言えるなっていう。その怒りみたいなものがずっと自分の中にあったものですから。追い詰められた人が他のことが考えられなくなったり、判断を誤ったり、逃げられなくなっていったりという状況も全部込みで書きたかったんですね。そういう事件のことをニュースで見た時は他人事に感じるかもしれないけれど、小説として書かれたものに感情移入して読んだとしたら、他人事じゃなくなるんじゃなかろうかと。フィクションは時に事実を超えると信じているので。それができるのがフィクションの力だと思うんですよね。それをちょっと証明したかったというのがあります。

風は西から

村山 由佳(著)

幻冬舎
2018年3月27日 発売

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――最近を振り返ってみても刊行点数が多いですけれど、今後は……。

村山 7月に中央公論新社から『燃える波』という小説が出ます。「婦人公論」に連載していたもので、また嫌なモラハラ夫が出てくるんです。編集部からは「村山さんって、嫌な夫を書かせたら世界一ですね」と言われました(笑)。まあ、復讐の気持ちではなく題材として面白いので。同工異曲と思われたくはないですけれどね。それと、秋に猫についてのエッセイを出しますね。

燃える波 (単行本)

村山 由佳(著)

中央公論新社
2018年7月6日 発売

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――WEBで連載している「猫がいなけりゃ息もできない」ですね。村山さんは今、軽井沢で猫たちと暮らしていますが、はからずも長年寄り添ってくれた〈もみじ〉の病気が見つかって、今年の3月に見送るまでを書くことになりましたね。

村山 担当が若い女性なんですけれども、あの時期に「鬼のようなことを言うとお思いでしょうが、今の気持ちを全部書いておいてください」って言ってくれて。こんな強烈なこと忘れっこないよと思っていたけれど、今その時のメモを見直すと、書いておいてよかったと思うんですよ。その時でないと言葉にならなかったことって、これだけあるんだなと思って。

私のやってきたことから言い訳をとっぱらったら伊藤野枝になる

――改めてまとめて読んだら絶対にまた泣いてしまう……。そして「小説すばる」では、伊藤野枝を主人公にした小説の連載が始まったところですね。

村山 はい。集英社の若い担当さんたちと話していた時に、栗原康さんの『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』という本の話になったんですね。「ぶっとんでいて面白かった」「村山さんが伊藤野枝を小説に書いたら絶対凄いものになるはず」って言われて、それでまず『村に火をつけ、白痴になれ』を読んだら本当に面白くて。辻潤だ、平塚らいてうだ、大杉栄だっていう人たちと出会って、7人の子どもを産んで、28年の人生を駆け抜けて、最期は憲兵に拷問されて殺される。どういう人生だよって思ったんです。女としては、私がやってきたことから言い訳をとっぱらったらこの人になるんじゃないかと思うくらい、重なる部分もいっぱいありました。私は子どもを産んでいませんけれど。

――言い訳をとっぱらったら、というのは。

村山 伊藤野枝も子どもを置いてきたりと相当ひどいことをしてきたけれど、遺された文章には、自分のしてきたことへの後悔が切々と書かれていたりはしないんですよね。自分がやらなきゃいけないことに対する意思が表れている文章や、大杉栄との幸せな生活を大事に思ってしまう自分と、社会主義運動をする自分との間の揺れる気持ちを書いたものはあるんですけれど、これだけ後悔のない人も珍しいなって。

 私より前にこの人を書こうと思ったのは誰だろうと思ったら、瀬戸内寂聴さんが『美は乱調にあり』と『諧調は偽りなり』という作品を40代から50代の頃に書いていらっしゃるんです。惹かれるものが似ているんだなと思いました。私は『死せる湖』という寂聴さんの文庫本の解説を書かせていただいたんです。そこにも書きましたが、寂聴さんにはすごくシンクロする思いがあって。そういう寂聴さんが伊藤野枝を書いていらっしゃるんだと思った時に、思わず武者震いしたんですね。全然違うもの、もっと小説寄りのものになると思いますけれど、書いてみたいなと思ったんです。

 それも今、安定しているからですよね。実生活がぐちゃぐちゃだったら、伊藤野枝みたいな大きい題材に向かっていこうという気持ちにはなれなかったと思うんです。物書きになって25年ですけれど、本当に今までにない感じで創作しているなという実感がありますね。それが吉と出るか凶と出るかはもう作品を見ていただく以外にないので、分からないですけれど(笑)。