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最初の性の思い出が、罰の記憶と重なってしまった──「作家と90分」村山由佳(後篇)

2018/07/14

genre : エンタメ, 読書

note

青春や恋愛を爽やかに描く作風からの急激な変化

――デビュー作『天使の卵』以降しばらくは、青春や恋愛を爽やかにあるいは切なく描いた作品が多かったと思うんです。直木賞を受賞された『星々の舟』(03年刊/のち文春文庫)の家族一人一人の話でも過酷な体験が描かれますが、やはり周囲が作風の変化に驚いたのは2009年の『ダブル・ファンタジー』。なぜあのタイミングでああいうものを書こうと思われたのか、と。

村山 あれは最初の旦那さんのところから家出したタイミングだったんです。ちょうど鴨川から出奔したタイミングで、「週刊文春」で連載を始めましょうという話になって。まだ題材が決まらないでいる頃に編集者と、いわば省吾のモデルとなった人物のことや志澤のモデルになった人物のことを話していたら、ふっと沈黙する瞬間があって。何秒かの後で、「これ書こっか」「書いちゃいましょうよ」って(笑)。その時にもう『ダブル・ファンタジー』というタイトルも決まっていた気がします。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ダブル・ファンタジー」というアルバムの話もしていたんだと思う。レノンの息子に対するハッピーな曲が入っているなと思ったら、次にオノ・ヨーコの前衛的な歌が入っていて、「あなたがほしい」という感じで喘ぎ声みたいなものも入っているんですよね。音楽性の違いというより、愛し合っている男女でも、これだけ違うものを見ているというのがすごいよねっていう話が出て、それで本のタイトルもこれでいこう、と決まったんです。

星々の舟 Voyage Through Stars (文春文庫)

村山 由佳(著)

文藝春秋
2006年1月10日 発売

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――連載開始から、これまでの村山さんの読者を含め、すごく反響があったのではないですか。

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村山 ありました。どうせそういう話を書くんだったらと思って、連載第1回の最初の1行が〈男の臀とは、どうしてこうも冷たいのだろう。〉ですからね。よせばいいのにネットの掲示板を見に行って、その都度ものすごくへこんで帰ってきていました。でも見ているとだんだん、書いている人ってだいたい決まっているんだなと分かってくるし、これだけ文句言うのに毎号読んでいるなんて、実は好きなんじゃないのかな、とか思えてきて(笑)、もういいやって思えるようになりました。途中からは覗かなくなりましたね。

 それまでに書いていた、切なくてどこかで泣けて、最後にカタルシスのある青春恋愛小説も私自身が読んで好きなタイプの小説ですし、これからも書くと思いますが、でも「自分はずっとこれでいくのか?」という気持ちはあったんです。一番そのことでぶつかったのが、最初の旦那さんでした。彼は今までの読者を裏切るのかというふうに言っていて、私は売り言葉に買い感情で、性格が邪魔して言葉には出せないので“買い感情”なんですけれど、失うことを恐れていたら何も書けなくなってしまう、という思いがすごくありました。振り返ってみるとたぶん、それは正しかったんだろうなと思うんですけれども。

母を悪く書くことへの世間のタブー意識が3年間で変化した

瀧井朝世さん ©石川啓次/文藝春秋

――『ダブル・ファンタジー』以降、どんな変化がありましたか。

村山 『ダブル・ファンタジー』は叩かれるだろうと思っていたけれど、『放蕩記』があんなに叩かれるとは思っていなかったんですよ。本当に意見が真っ二つに分かれました。「よくぞ書いてくれました」という人と、批判的な人がいて。当時は母親を悪く書くことはまだタブーだったんですね。田房永子さんの『母がしんどい』もまだ出ていなかったし、せいぜい佐野洋子さんの『シズコさん』があったくらい。だから「村山さん、よく書いてくれました」と言ってくださったりサイン会で自分のことを語りながら涙するような妙齢の女性がいっぱいいた半面、「村山さんは子どもを産んだことがないからお母さんのありがたさが分からないんだ」という方もすごくいっぱいいたんです。どうしてこんなふうに母親を書くんだっていう。だから要するに何をどう書いても叩かれるんだったら、叩かれてなんぼだな、後ろ指さされてなんぼだなって思うようにもなりましたし。

――格好いい。

村山 でも、単行本が出て文庫が出るまでの3年間でずい分変わったんですよね。それが如実に分かるのが、単行本時のレビューと、文庫本が出た時のレビュー。明らかに温度差があるんです。

――それによって、新たな読者も獲得したし。それに長く書いている作家のファンの話を聞いていると、作者と一緒に読者も成長し、変化していっているんだなと思います。

村山 本当にそうならありがたいですね。『ミルク・アンド・ハニー』もね、途中まで読んで「嫌だな」と思って本を閉じてしまったということにならないといいなと思うんです。お願いだから、最後まで読んで、今回は、っていう。全然違うところに辿り着くから、って。

実生活が満ち足りてしまうと書けなくなるのではないかという恐怖感がずっとあった

――そうですよね。『ダブル・ファンタジー』のラストとも全然違いますしね。この2作って登場する男性のタイプも違うし、性愛のバリエーションの部分も面白く読めますけれど、さまよってさまよってさまよって、探し当てるものがある話なんですよね。それが実体験に基づいているっていうのが驚きなんですけれど(笑)。

村山 まあ、“背の君”の嫌な部分は今回書いていませんからね(笑)。

――奈津はその時々の相手との関係と、執筆姿勢が密接につながっていますが、村山さんもそうだとすると、今後どのようなものをどんなふうに書いていくのかなあ、と。

村山 実生活が満ち足りてしまうと書けなくなるのではないかという恐怖心がずっと私の中にもありました。ハングリーで、常に薄い刃の上に裸足で立っているような状況でないと、ヒリヒリするものは書けないんじゃないのかな、っていう。それであえて行ってはいけない方向に行ってみたり、たまたま駄目なほうへ行ってしまった時も「これでまた書ける」と思ってみたりを繰り返してきたんです。最初の夫といた鴨川を出奔したのは、幸せすぎて書けなくなった部分があったからです。でも、今、実生活がこれ以上ないくらい安定した状況なんですが、それで自分の何かが鈍ったり書きたいものが見つからなくなったりしているかといえば、そんなことはなくて。なんというか、背後のことを気にせず前を向いていられるという。そういう安定をはじめて得たな、と感じています。