何を書いても「作家の家族は大変デスネ」とだけ言っていた亡父
――加納のこともあって、この後どうなるのと思ったら、「背の君」が現れますよね。村山さんご自身がよくツイッターに「背の君」と書かれているので、「これはあの人か!」と思いました(笑)。彼の存在があったからこそ、この続篇を書こうと思えたわけですよね。
村山 そうですね。文春さんに「続篇を書きます」と言った時に、彼にも「書いていいかな」と聞いたんです。そうしたら、「そうして(出版社から)書いてほしいと望んでもらえるのはめっちゃありがたいことやねんから、何なりと書いたったらええがな」って言われて。「書くからにはええ加減なもの書くなよ」と言われて、「じゃあ全部きっちり書かせていただきます」という感じでした。
――連載中、読んでいらっしゃったんでしょうか。
村山 たまに読んでいましたけれど、かといって別に内容に口出すわけじゃなかったです。そこはありがたかったです。亡くなった父もそうでしたね。『放蕩記』の中に父親が出てきて、娘に自分の浮気を告白するような場面があって、現実の父はそういうところも全部読んでいましたけれど、言うことはいつもひと言だけ。「作家の家族は大変デスネ」って(笑)。最後の「ですね」がカタカナな感じで、カッカッカッカと笑いながら。それは助かりました。
本を好きになったのも、書くことが好きになったのも、今は認知症になった母のおかげ
――お母さんは現在、認知症なんですよね。
村山 そうです。母が元気なまま分からなくなってくれたおかげで、書けることがものすごく広がったので。それは物書きの私にとってはとてもありがたいことでした。ありがたいというのもどうかなと思いますが、母は今、わりと幸せそうにしているんですね。少女に戻った状況です。施設の方たちにもよくしていただいています。そういう意味で「お母ちゃんありがとう」って思いますね。
私が本を好きになったのも、書くことが好きになったのも、母のおかげですからね。それは本当に感謝しています。文章の手ほどきをしてくれたのも母でしたが、小説を書くことが母から自由になる場であったのも確かで、そこは表裏一体になっているんですけれど。あの母でなかったら、今私はものを書いていないと思うので、それはありがたいなと思います。
――そこでひとつもわだかまりを口にしないところが村山さんだな、と感じます。
村山 『放蕩記』に書いたり『ミルク・アンド・ハニー』に書いたりと、小説で母のことを書いてきた末に今の心情があるんじゃないかなと思うんです。やっぱり『ダブル・ファンタジー』を書いていた頃はまだきつかったですね。あの連載中に担当者に「なんで奈津は省吾に対してこんなに気を遣うんでしょうね」と言われたんですよ。「年も離れていない旦那さんの言うことを、なんでそんなに何も抵抗せずに受け入れられるんでしょうね」って言われて、「えっ、普通そういうものじゃないの?」って訊き返したら、「普通じゃないですよ」って。「根っこはどこにあるんでしょう?」って言われた時にはじめて、ああ、奈津と省吾の関係は、私と母親の関係と同じなんだ、と。私と最初の旦那さんとの関係もそうでしたけれど。母親のもとを逃げだしておいて、同じようなタイプの男の人と結婚しちゃったというか。逆にそういうふうに相手をモンスターに育ててしまったところもあったと思います。
水川あさみさん主演でドラマ化された『ダブル・ファンタジー』
――WOWOWで『ダブル・ファンタジー』がドラマ化され、お母さん役が多岐川裕美さんですね。
村山 監督の御法川修さんが、私の過去作品まで読んで「村山さんの評伝が書けるくらい勉強しました」って言ってくださって。脚本を読んで一番感動したのが、『ダブル・ファンタジー』と『放蕩記』が一部合体していることでした。母親役の多岐川裕美さん、超絶怖いんですよ(笑)。奈津は水川あさみさんで、省吾は眞島秀和さんで「お前よくそういうこと言えるな!」とか恫喝するくせに一変して泣き落としにかかるのがまた怖くて(笑)。田中圭さんが岩井先輩役です。こちらがまた本当にエロティックで素敵で。