中3で腹部に激痛が走り「ベーチェット病」に

——中学校に進んでからは、いかがでしょうか。

柴田 ボーイズリーグは中学生がメインなので、四日市トップエースに引き続き所属していました。中1で全国ベスト4、中2も全国ベスト4だったかな。中3では日本代表チームのエースにも選ばれました。そんなこともあって、たくさんの高校から進学のオファーをいただいていたんです。

 そのころ、進路候補をノートに書いてまとめるなどをしながら、自分はどこに進むべきかを考えていたんですね。そしたらお腹が痛くなってきて、悩みすぎかな? ストレスかな? とはじめは思っていたんですが、さすがにそんなレベルじゃない激痛に変わりまして。病院にいって検査を受けたら「ベーチェット病」という診断結果でした。「国指定の難病」といわれ、最初は受け止められなかったですね。

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ステロイド80mgを首から注射して摂取

——ベーチェット病はどのような症状があったのですか。

柴田 ずっと盲腸になっているような腹部の激痛がありました。熱は40度出るし、口内炎が20個くらいできました。それを無理やり抑えるために、大量のステロイドを摂るんです。経口ステロイドって1日5mgくらいがふつうの摂取量らしいんですが、僕は当時80mgくらい摂取していました。そんな量になると飲めないので、首から注射していました。副作用で顔がパンパンになったり、風邪や感染症にかかりやすくなったり、腹膜が破れやすくなったりするので、まともな生活は送れませんでした。

 

——それはしんどいですね。動くことはできるのですか。

柴田 痛みや副作用で歩けないです。なので、外を10分歩くようなことからリハビリをしていました。中3のときはあまり動けない時間が長かったです。

——そんな状況でも、愛工大名電という甲子園常連校に進学されましたね。

柴田 倉野(光生)監督が、それまでの僕の経歴に期待して投資してくださったのだと思います。「ちょっと前まで野球が上手だった子が、いまは病院で寝ている。回復すれば活躍できるだろう」と考えてくださったみたいで、入学の際には「高3で甲子園のマウンドに立てればいいから、がんばれ」との言葉をもらいました。名電野球部は全寮制なのですが、監督の奥さんにも病気のことを細かく伝えて、理解していただけました。