悲願の甲子園は「ふわふわしていた」

——甲子園のマウンドで投げた感覚はいかがでしたか。

柴田 ふわふわしていました。天国にいる感じです。難病で苦しんだ時期を考えると、甲子園に出ているなんて夢みたいなものでした。試合前のキャッチボールで遠投するときには、自分が投げるボールがどこまでも飛んでいくんじゃないか、と感じるくらい調子もよかったです。マウンドに上がったらもう怖いものなしで、緊張もないし、自分のボールも伸びる。すべての実力を出せました。夢のようで、あっという間に試合が終わってしまった感覚です。

※甲子園では初戦・対創価高で5回から登板し4回1安打無失点6奪三振の好投も、1対3で敗退。

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甲子園では背番号10を背負い好投した(本人提供)

甲子園に行けなかったらプロにもなれていない

——その時の経験が「アジア甲子園」実現に向けた現在の活動につながってるんですよね。

柴田 体験としてすばらしかったのはもちろんですが、予選で負けてしまっていたらドキュメンタリーも放送されることがなかっただろうし、明治大にも行けてなかったんじゃないかと思います。そしたらプロ野球選手にもなれていないし、いまの自分とはまったく違う人生になっていたはずです。やはり甲子園は自分の人生が変わるきっかけになったイベントだったので、そのような大会を海外にも広げていきたいと思って、いま活動しています。

次の記事に続く 巨人時代に「山本昌」「豊田清」「内海哲也」が“イップス”から救ってくれた…プロ野球からコンサルに転身した柴田章吾さん(36)が語る、苦しかった野球の日々

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