輸入品へ一方的な課徴金を課したニクソン大統領

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 ブレトン・ウッズ体制の発足からしばらくの間、アメリカの金(きん)準備は国際収支赤字をカバーするのに十分であり、かつアメリカの物価は安定していた。ところが、1960年代後半、ヴェトナム戦争の拡大による戦費の膨張やジョンソン大統領の「『偉大な社会』計画」とよばれる社会福祉政策により、アメリカの財政支出が急増した。その結果、国際収支の赤字が拡大し、アメリカから何百億ドルもの金(きん)が流出した。

 そこで、アメリカのリチャード・ニクソン大統領は、1971年8月に「新経済政策」を発表し、金(きん)の流出を食い止めるべく、以下のような措置を断行した。いわゆる「ニクソン・ショック」である。

 第一に、ニクソン大統領は、一方的にドルの金(きん)への交換を停止した。

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 第二に、ヨーロッパや日本にその通貨を切り上げさせるため、アメリカの輸入品に対して10%の課徴金を課した。

 第三に、アメリカのインフレを抑制するため、賃金と物価に対する規制を導入した。 第四に、1971年12月にスミソニアン博物館で開催された先進10か国による会議において、大幅なドル切り下げを決定した。これが「スミソニアン合意」である。なお、スミソニアン合意の後、10%の輸入課徴金は撤廃された。

 さらに、1973年には、変動為替相場制への移行が決定された。こうして、ブレトン・ウッズ体制は、その幕を閉じることとなったのである。