空前の経済成長をもたらした「ブレトン・ウッズ体制」

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 ミランが目論んでいるのは、「マールアラーゴ合意」という呼称が示唆するように、スミソニアン合意やプラザ合意のような、国際通貨体制の歴史的な大再編である。

 第二次世界大戦後の国際通貨体制は、まず、ドル金本位制の「ブレトン・ウッズ体制」として出発したが、ブレトン・ウッズ体制は1970年代初頭に崩壊し、変動為替相場制を基礎とした現在の国際通貨体制に至っている。そこで、まずは、ブレトン・ウッズ体制の成立からその崩壊までの歴史を振り返ってみよう。

 第二次世界大戦末期の1944年、アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開催された会議において、新たに世界の覇権国となりつつあったアメリカは、イギリスと協力して、新たな国際通貨体制を構築することを決めた。これが「ブレトン・ウッズ体制」である。

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 ブレトン・ウッズ体制は、次のような特色をもっていた。

 第一に、1930年代に起きたような各国間の通貨切り下げ競争による世界経済の破壊を防ぐため、固定為替相場制度が採用された。各国は、ドルと自国通貨の為替レートを固定し、アメリカはドルを1オンス35ドルで金(きん)と交換することを保証することで、制度の信頼性を確保することとした。ただし、ファンダメンタルな国際収支不均衡が生じた場合には、国際的な同意の下で、為替相場を変更する余地が与えられることとなっていた。

 第二に、1930年代に大規模で不安定な国際的資本移動が大混乱をもたらしたことを踏まえ、国際資本移動は規制されることとなった。

 第三に、国際通貨基金(IMF)が設立され、一時的な国際収支不均衡に陥った国に対しては中期の融資を行うこととなった。

 このブレトン・ウッズ体制の確立により、戦後の国際経済は空前の成長を遂げた。しかし、ブレトン・ウッズ体制は長くは続かなかった。