2025年上半期、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。ライフ部門の第3位は、こちら!(初公開日 2025/06/28)。
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アイドル兼セクシー女優という、異例の肩書きで活動していた西元めいささん。かつて、自身で立ち上げた会社でみずからグループをプロデュースした経験も持つが、2025年5月には、約5年間に及ぶ波乱万丈だったアイドル人生の「終了」を宣言した。
その礎にあったダンスの原点、そして、「人生のどん底」だったと語る中学時代のイジメ体験を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
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「母から聞いたのは、私がアイドルになってから」母親はおニャン子クラブの元メンバー
――過去には、お母さんがおニャン子クラブの元メンバーだと明かして、バズっていましたよね。
西元めいさ(以下、西元) はい。でも、実家で暮らしていた当時は、知らなかったです。母から聞いたのは、私がアイドルになってからでした。
――そもそも、どのような家庭環境で育ったんでしょう?
西元 ごく一般的な家庭ですね。お母さんはずっと専業主婦で、アイドルだった面影はまったくなかったです。父は頭のいい大学出身で、めっちゃ仕事ができるイメージで。弟とも一緒に暮らしていました。
――アイドルに欠かせないダンスは、幼い頃から習っていたそうですね。
西元 2歳から、クラシックバレエとヒップホップを習っていました。ダンススタジオの建物にケンタッキーがあって、大好きなフライドチキンが毎日食べられると思ったのか、幼かった私が「やってみたい」と言ったそうなんです。親も礼儀を学ぶためにバレエを、リズム感を養うためにヒップホップを習ってほしかったみたいです。
スターになりきって踊っていた幼稚園時代
――ステージ経験のあるお母さんの熱意もあったんでしょうか?
西元 どうなんでしょう。私としては気がついたらやっていた感覚だったし、聞いたことはなかったですね。でも、入れてくれた幼稚園が舞台での本格的なお芝居に力を入れている場所で。
しっかりした台本が用意されていて、お母さんが作った衣装を着て、ガチガチの演劇をするような幼稚園だったんです。周りには踊れる子も多かったし、お母さんも次第に熱心になっていったのかなとは思います。

