石ノ森章太郎を宮城から呼び寄せた

また、投稿少年だった石ノ森章太郎を宮城県から呼び寄せ、マンガ家になるきっかけを作ったこともある。のちには、仕事がなくて困っていた石ノ森章太郎を『少女クラブ』の丸山昭に紹介し、プロ第1作「まだらのひも」(コナン・ドイルのミステリー小説原作)の登場に結びつけた。すなわち手塚は、「才能を見出し世に送る」という意味で、すぐれた編集者にしてプロデューサーでもあったのだ。

そして手塚は、自らのスタジオ・虫プロダクションを立ち上げ、1963年に初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」を制作するなど、戦後初期のアニメ制作者としても功績を残した。1967年には劇場用アニメ「ジャングル大帝」(1966)でベネチア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞を受賞している。戦後初期に登場しマンガ界の巨人となった手塚はまた、初期アニメ界の巨人でもあったのだ。

まさしく多面体といえる手塚は、本業であるマンガでも長年にわたって精力的な活動を展開し、『ブラック・ジャック』(1973〜1983。第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞受賞)など多くの傑作を世に送り続けた。

澤村 修治(さわむら・しゅうじ)
松蔭大学教授
1960年東京生まれ。千葉大学人文学部人文学科卒業後、講談社出身の牧野武朗(『なかよし』『少年マガジン』『少女フレンド』創刊編集長)に編集を学び、中央公論社・中央公論新社などで37年にわたり編集者・編集長をつとめる。20年3月、中央公論新社を定年退社し、淑徳大学教授を経て現職。著書に『唐木順三』(ミネルヴァ書房)、『ベストセラー全史』近代篇現代篇(筑摩選書)など。
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