山本も石原もいなかった
楠木 連合艦隊司令長官の山本五十六は当初、短期決戦でアメリカ海軍に打撃を与え、講和に持ち込むことを目指していました。政治的なセンスも持った稀有な軍人だと思うのですが、会議には出ていませんね。
保阪 ええ。それに当時、傑出した戦略家とみられていた石原莞爾は東條と対立して予備役に編入されていましたし、終戦構想を練っていた総力戦研究所所長の飯村穣も、軍の中心からは遠ざけられていました。終戦構想を担える人材は、外野席で情勢を見守ることしかできなかったんです。
新浪 「戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのが難しい」と先ほど言われた通り、本来であれば、戦いを始める際に綿密な出口戦略を立てておくべきです。国の存続と国民の尊い生命がかかっているならなおさらで、戦う相手、同盟する国、国内の状態をよく分析し、どのように戦い、目標を達成し、どのように終了していくのかについて、いくつもシナリオを想定する必要があります。そのため、不測の事態にあわせて複数のプランを用意していくことも必要になってきます。当時、組織が硬直化した軍部では、しっかりした終戦構想を作ることができず、場当たり的で希望的・楽観的な動きに終始しました。これからいざ開戦だという状況で、終戦のシナリオを描くのは、当時の日本人のメンタリティとして「そんな根性のないことでいいのか!」と難詰されかねない、ということもあったと思います。
保阪 結論としては、開戦時に終戦構想があったかと聞かれれば、建前としてはあった。しかしその文章は、起案した人が「うーん」と悩みながら作ったものでしかありませんでした。アメリカの継戦意思を喪失させると言ったって、それは相手方の問題。日本が何をするかに触れておらず、極めて曖昧な内容だった。
千々和 出口戦略とは到底言えない中身でした。ドイツが勝つという楽観主義に基づいて、ベストシナリオを描いてしまっている。この腹案の決定は真珠湾攻撃の約1カ月前。おそらく、戦争を始めるためには、天皇を説得しなければならないなどの理由があったので、とりあえず作ったというレベルの文書でしょう。
※本記事の全文(約23000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(保阪正康×新浪剛史×楠木建×麻田雅文×千々和泰明「《大座談会》日本のいちばん長い日 なぜ戦争をもっと早く終わらせられなかったのか?」)。全文では、以下の内容をお読みいただけます。
・終戦工作ができなかった東條英機
・一撃和平とソ連仲介策の不毛
・「聖断」に至る険しい道のり
出典元
【文藝春秋 目次】大座談会 保阪正康 新浪剛史 楠木建 麻田雅文 千々和泰明/日本のいちばん長い日/芥川賞発表/日枝久 独占告白10時間/中島達「国債格下げに気を付けろ」
2025年9月号
2025年8月8日 発売
1800円(税込)



