空襲は“80年も前の出来事”なのか

 若い世代は戦争をどう受け止めているのだろう。

 今年の8月1日、長岡市が毎年募集している「平和に関する作品」の入賞作5点が発表になった。

 そのうち、同市立小国中学校の湯本羽那さん(3年)が書いた「『知らない』ひいおじいちゃん」という作文は多くの人の心を揺さぶった。

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平和祈念式典で「『知らない』ひいおじいちゃん」について話す湯本羽那さん(アオーレ長岡) ©︎葉上太郎

 湯本さんの祖母の家には、他の写真よりくすんでいて、軍服を着た遺影があった。祖母は「戦争に行ったひいおじいちゃんだ」と教えてくれた。湯本さんは驚いた。「ひいおじいちゃん」は別にいたからだ。幼い時に亡くなったが、明らかに違う人だった。

 小学5年生の時、歴史として習った戦争に興味を持った。「『知らない』ひいおじいちゃんは誰なのか」。祖母に尋ねると、「『知っている』ひいおじいちゃんの兄で、ひいおばあちゃんと結婚していたが、フィリピンのルソン島で戦死したため、弟が後継ぎとしてひいおばあちゃんと結婚した」と話した。

 湯本さんは胸が苦しくなった。信じられないようなことが、戦争があった時代は当たり前だったのだ。

非核平和都市宣言の碑(平和の森公園) ©︎葉上太郎

 中学2年生の時、修学旅行で広島へ行った。広島平和記念資料館で兵士の写真を見ていた時、「『知らない』ひいおじいちゃん」が地獄のような戦場で、「きっと家族に会いたかっただろう。家族と幸せに笑って暮らしていたかっただろう」と想像すると、涙が出た。

 作文はそんな内容だった。

 湯本さんは「私達は、戦争で亡くなったすべての人の思いを背負って生きていかなければならないと思う。たった数十年前に起きたこの悲惨な『現実』を『過去』として風化させないために」と書いた。

長岡駅前。正三尺玉の打揚筒がモニュメントになっている ©︎葉上太郎

 過去は現在と地続きになっている。80年も前の出来事なのか。それとも湯本さんが言うように、たった80年しか経っていないのか。

 どう捉えるかは私達次第だ。

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