将棋を別の競技にしたAI
ただ、その一方、豊島は内心で羽生の変化を感じ取っていた。少し前から感じていたことだった。棋界で誰よりも勝利を積み重ねてきた羽生は印象を変えていた。具体的に言えば、自身の核はそのままに、人工知能ソフトを用いて準備していることがうかがえた。羽生の中でそれがいつから進行していたものかは定かではなかったが、将棋盤を挟んで向かい合い、序盤の指し方や持ち時間の使い方などを見れば変化は明らかだった。
人工知能=AIを搭載した将棋ソフトが登場したのは2000年代の初めだった。当初は人間の指す手に及ばなかったが、その後、開発者たちの研究によって進化を遂げ、2010年代の終わりにはAIが手を読む能力は人間のそれを遥かに超えており、将棋ソフトと棋士が対局すれば、高い確率でソフトに軍配が上がるという現実は周知のものとなった。
かつてパソコンの登場によって棋譜がデータベース化された時も棋界には変化の波が起こったが、それより遥かに巨大な波が押し寄せた。400年の歴史を誇る将棋において、これまで棋士に勝る存在はなかった。人間同士が研究し、意見をぶつけ合い、時間をかけて最善と思われる手を見出してきた。だがそこに、ある意味で棋士を超える存在が現れ、“正解”を提示するようになった。それも瞬時に、である。衝撃は計り知れず、AIソフトの登場によって将棋がまったく別の競技になったと指摘する者もいた。
50代にしてなお“変革の波”を乗り越える
当初、ソフトを用いての研究が人間同士の対局においてどのような効果をもたらすかは見解が分かれた。棋士たちはAIとどう向き合うか選択を迫られ、若年代の棋士はAI研究をベースにする者が多く、逆にソフトのない時代にプロとなった棋士たちは懐疑的な見方をする者も少なくなかった。
それが2022年現在ではAIを用いた研究はもはや当たり前になった。年齢にかかわらず、棋士は時代の変化に対応していく必要があった。それは誰よりも多くの栄光を手にしてきた羽生でさえ例外ではなかったのだ。パラダイムシフトを受け入れる時、高みに登った者ほど捨てなければならないものは多くなる。だからこそ、AIの登場という巨大な変革の波を乗り越えて、20歳の藤井とのタイトル戦に辿り着いた羽生には、棋士仲間からも世間からも畏敬を込めた視線が注がれていた。
豊島の眼前に羽生がいた。若くして天才と言われた棋士にもいずれ変わらなければならない瞬間がくる。豊島は32歳の今、名人や竜王などタイトル六期を記録するトップ棋士となっていた。だが、まだ何も手にしていない頃には、AIという未知なる相手を前に迷った時期があった。その末に信じてきたものと決別し、新たな道を選択した瞬間があった。
そして、その引き金となったのが羽生の存在だった。




