だが、勝敗の天秤は最後まで揺れ続けた。その針がついに止まったのは153手目だった。自玉の左上に銀を打たれると、豊島は側に置いてあったペットボトルを手に取った。コップに水を注ぎ、心を鎮めるようにそれを二口飲んだ。それから数秒の間を置いて、投了した。
「負けました」
午後10時48分、初タイトルが豊島の眼前から消えた。盤の向かい側ではタイトル通算90期に到達した巨星がひとつ息をついていた。
羽生を苦しめるほどの名局後に豊島が下したある決断
ほどなく終局後の対局室では羽生へのインタビューが始まった。
「序盤は待ってるだけになってしまったので、あまり作戦としては面白くない展開にしてしまったと思っていました……」
いかに苦しい戦いであったかを羽生は口にした。事実、この一局は後に、この年度の名局賞に選ばれるほどの戦いだった。タイトルはほんのわずかなところで豊島の手をすり抜けていったのだ。ただ、終局直後の豊島はまったく別のことを感じていた。羽生先生の背中はまだ遥か遠い……。対局中から感じていた埋めがたい距離を突きつけられていた。
関西棋界のホープと言われながら、豊島はまだタイトルを手にしていなかった。初挑戦は20歳。王将戦で15歳上の久保利明に挑んだが、2勝4敗で敗れた。それから次のチャンスをつかむのに3年かかった。そして、それもたった今、潰えた。
このままではダメだ……。とりわけ浮き彫りになっている中盤戦の課題を何とかしなければならない。大局を見通す眼と、深い森へと分け入っていく力が必要だった。
豊島には少し前から迷っていることがあった。それは、これまで積み上げてきた研究スタイルで将棋を続けるか、あるいは別の道を選んで自分を変えてみるか、という悩みだった。そして、この夜、羽生に喫した敗北によって、豊島は決断した。



